鳴る

 誰も余裕などないのだった。
 祝日はないものとしてスケジュールは動いている。その中の定例会議でデモンストレーションをしてくれと言われた時、僕は正直嫌だった。何しろ外注したWebUIはまだ出来が悪くて、僕の作ったモックとそう代わりはなかったからだ。ほとんどできていないといってもいい。ただでなくても素人が作ったとまるわかりなデザインをもってして、それをデモするなど僕は嫌だった。でも彼らはなにかこそこそと話をして、僕にやってくれといった。
 以前から言われていたことではある。それを何度も断ってきた。でも何度も何度も顧客との定例会議に出てくれと営業から言われる。進捗が芳しくないからだ。そしていつも付け加えるのだった。女の子がいるとあの人達もうるさく言わないからさ。
 僕は同期の女子の名を出して、あの人はどうなんですか。いつも行ってるじゃないですか。女の子ですよという。それにすごい、できるし。
 実際に彼女はとても有能な人で、今回の案件の開発以外の部分では主力となっている。いつも頭の中は綺麗に整理されていて、しかも勉強熱心で、優秀であるのは皆認めていることだ。
 でも、彼は曖昧な顔をして笑う。ぼくはそれを許容する空気を憎む。彼らが言外に示していることを察して憎む。この場にいない彼女の分まで彼らのことを呪う。彼らにとって彼女は女の子ではなく、僕は女の子であるという事実がたまらなく憎く、そして苦しい。
 予想通りの鈍い反応を受けながらデモンストレーションを終えたあと、僕はトイレの個室で瞼を押さえていた。仕事が詰まっているのは別にそれほど苦ではない。帰りが遅いのも、少しくらい休日に仕事をするのも、持ち帰りが発生するのも、それほど大したことではない。だけど、何かを憎むというのはそれらすべてをなげだしたくなる峻烈な色を呈し、そして心を疲弊させるのだった。僕はぶつぶつと呪いの言葉を吐いた。そうすることしかできなかった。


 キーボード買っちゃったんですよ、と僕は言った。なんだか疲れてきたし、ちょっとストレス発散でもしないといけないかなと思って。どんなキーボード?と先輩が聞き、僕は青軸の……と言いかける。先輩はもう笑っている。ちがうんですよ、すっごいいいんですよ、絶対一度使ってみたほうがいいと僕がムキになってことばをつづけると、先輩はいつものように呆れたように顔を歪めてボサボサの頭をかくのだ。そして言う。キーボードかってストレス発散になるってのがもうなんかおかしいよな、男らしい。僕はちょっと笑って、あとでまたトイレで泣いてこようと思う。

 雨、だった。
 いつの間に降りだしたのだろうか。ふと窓から外を見ると、白い線が空気を粉々に砕いていた。はじめ、僕はそれが雨だとは思わなかった。図書館の中はひっそりとした静けさに満ちており、しかも僕は耳の中にイヤホンを押し込んでいたから、音が聞こえなかったのだ。やがて僕はコンクリートの縁から垂れるしずくに気づき、ようやく篠突くような雨が降っているのだとわかった。
 桜の木から滑り落ちる雨は表面を流れ落ちるより飛び降りたほうが早いと心得ているのか、途中から滝のように流れ落ちている。エントランスの雨除けの下には出かけようとした人々が足を止め、困惑した顔で空を仰いでいる。
 少年が一人、走っている。突然の雨から逃げ遅れたのだろう。白く烟るアスファルトの上を走ってくる彼はすっかりずぶ濡れになっているが、妙に表情は楽しそうだ。安っぽい青みがかった白いシャツが濡れたせいでぺたりと肌に張り付き、少年の尖った背骨がその下から突き出しているのが見える。しなやかな体はすぐに雨除けの下にたどり着き、僕の視界からは消えた。
 腕の中にある二冊の本を抱え直して、僕は窓にそっと近づいた。窓際には背の低い本棚があり、ぎっしりと文庫本が詰まり、にぎやかだった。
 雨は垂直に落ちているらしい。全くの無風の中、ただ雲が雨をこぼしているだけなのだ。夕立というのはまだ少し時間が早いが、盛夏であればこんな驟雨がやってくることも珍しくはない。問題は、どうやって家に帰るか、だ。

(2012.8.4)
(2012.12.29加筆修正)

白夜の異国街

 2004年の夏、僕はフランスのパリにいた。パリの16区に宿を取り、毎日バスで出かけた。暑い夏だったがそれでも風は乾燥していて、日陰に入ると驚くほど寒かった。それがパリの夏だった。道を行く人は東京のように早足で、色鮮やかなかばんが日本に比べてかなり安価な値段でショーウィンドウに並べられていた。
 いつも乗るバス停のそばにゴディバの小さなお店があって、老婆が沈んだ暗い店内の中に鎮座していた。日本にあるおしゃれな雰囲気のそれではなく、小さなさえないチョコレート屋だ。僕は時々そこに入って、せす、あん、せす、とわ、とかたことでしゃべった。老婆は東洋人だと見ると最初は少しいやそうな顔をしたが、だんだん慣れてきて、僕が店に入るといそいそと立ち上がって迎えてくれるようになった。老婆は英語ができなかった。僕はフランス語がほとんどしゃべれなかった。
 じっと気になるチョコレートを見つめていると、彼女はフランス語でなにかぼそぼそと言う。首を振っていたらやめてたほうがいい、ということらしい。これを食べるなんて正気の沙汰じゃないとでも言っていたのかもしれない。うなずくときは大体おいしいもののことが多い。いつもしかめっ面で不機嫌そうな顔をしていたが、中身はそれなりに親切な人だったのだろうか。彫りの深い白人特有のあの表情を僕は解することができない。

 宿の主人も英語はしゃべれなかった。ひどいフランス語なまりの英語で、僕にもわかるような単語で、英語はほとんど話せませんと彼は言った。
 僕はパリジャンなんです。ばりじゃん? ぱりじゃん。ばり? ちがう、バリじゃないパリ。ばひじゃん? ぱりじゃん!
 何度か同じ言葉を繰り返してパリにずっと住んでいるということを意味したいのだとわかったとき宿主と僕はなぜだか大笑いをした。フランス語はほとんどわからない上に英語ですらもおぼつかない僕と、日本語が全く分からず英語は定かでない彼が話すにはジェスチャーと表情が不可欠だった。彼はいつも朝、たっぷりとクロワッサンを振舞ってくれた。コーヒーが苦手な僕に温かいミルクティをゆっくりと入れてくれるのだった。中庭に面した部屋は薄暗く、クーラーがついていないために暑かったがひどく静かで、僕はしばしば窓を開けて暮れてゆく白夜の空を見上げながら、スーパーで買ってきたりんごをかじっていた。

 そういえば宿の前には果物屋があった。果物屋の親父は日本びいきのようで、僕が行くと日本人かとつたない英語で尋ねた。やはりひどいフランス語なまりだった。僕がうぃとこたえると本当にうれしそうに、にほんのくだものがあるとフランス語で言った。はっきりとわかったわけではないけれど、その指の先にあるしなびた温州みかん(そういえば品物はほとんど萎びているように見えた)をみて僕はその言葉の意味を理解した。僕はおもわずわぁと声を上げて笑った。親父は太った体を満足そうに揺らした。僕はその店でマスカットとつめたい水を買った。ペットボトルに貼り付けてある値段シールはなぜか同じ商品でも値段がまちまちで、不思議だった。

 宿のとおりの角のパン屋には英語が少し話せる店員がいた。そのパン屋は申し訳なさ程度に道にテーブルといすをならべて、お茶を飲めるようにしていた。僕がケーキを眺めていると、彼女はここで食べてゆくのかと聞いた。彼女もまた日本びいきだった。
 あなた子供でしょ?違います。大人です。本当に?嘘よ。ちゃんとお金持ってる?あいはぶまにー!
 彼女は笑った。ケーキにちょっとだけ生クリームのおまけをつけて出してくれたから、僕はめるしーといった。カフェとエスプレッソとテがあるけどどれがいいかと言われ、僕はテとこたえた。
 おれ?おしとろん?
 おれ。
 彼女はにっこりと笑った。僕もにっこりと笑った。日陰のカフェは少しだけ寒かった。僕は両手を紅茶のカップであたためながらゆっくりとケーキを食べ、その店でフランスパンを買い、スーパーで野菜をかって、宿に戻った。
 白夜のパリはいつまでも明るかった。

(2010.7)
(2012.12加筆修正)

女らしさというたくましさ

 僕はまだ十代だった。彼女は僕を見てにっこりと笑った。あら珍しい。女の子が来た。そう言って、男の子と変わらない格好をして無造作に髪の毛を束ねているだけの僕に向かって、彼女は他の誰とも違う笑顔を向けた。僕はきまりが悪くて笑顔を作った。
 彼女は若く見えた。かっちりとしたパンツスーツをきて、きびきびと歩いていた。矢継ぎ早にしゃべり、背筋をいつもぴんと伸ばしている。大きな声で笑い、好奇心に満ちた目を輝かせ、親しみを込めてしゃべる。ぼくはばかみたいに口を開けて彼女が嵐のように通り過ぎていくのを見ているばかりだった。


 久しぶりに見た彼女は新聞の中にいて少し体をかしげ、ポーズをとっていた。女性らしいスカートを履き、感じの良い笑顔で笑っている。え、なになに、なにそれ? わぁ、おもしろい、あたしきれい? 彼女の目がそう言っている。僕はその写真を見て噴きだす。何をしているんだと笑う。でもきっと彼女のことだから、どういう思惑でその役を買わされたとしても、それに対して何を言われたとしても楽しそうに笑うのだろうと思った。


 きっと彼女は若い頃は美人だったんだろう。勇ましくて賢くて、愛嬌があって美して、そのことをよく知っている。今だってそんなに年をとっているわけではないけれども、でも彼女は自分が若くないことを知っている。若くなくても居場所があることを知っている。その場所を簡単には剥奪されないことを知っている。だから彼女は好きなことをする。したい格好をする。誰かに何かを言われても気にしないのだ。


 男っぽい格好をしていれば満足する人はいる。あの人は女らしさを武器にしていない、勇ましくてかっこいい、だからよい。私たちは女じゃない、そうであってほしい、まっすぐに顔を上げて女らしさの対極を生きてほしい。そう願う声がある。そうであれと呪う声がある。つつましく質素に地味に装っていることを美徳とする人々がいて、そうするうちにモノトーン以外の持ち物を持つことが怖くなる人がいる。目立つことを恐れるようになる。
 女らしい格好をすると不満に思う人もいる。媚びているようにみえる、ただでなくても大変なのに女らしさにまで気を配らなければならないように思わされるから、だから嫌だと思う人がいる。女らしさに苦しめられる人がいる。そうならなければならないと受け取る人がいる。でも、男らしくしなくても良いのか、と安心する人もいる。

 でもきっと彼女はそういう人達の事を考えているわけではないし気にしていないだろう。したい格好をする、着たいものを着る、やりたいことをする、時々面白そうだからしなを作ってみる、自分が素敵だと思う笑顔の練習をする、綺麗と言われると嬉しいから化粧をする、そういう喜びと、絶え間ない苦難と忍耐の日々。誰かを喜ばせたり驚かせたりするのはわくわくする、その気持を忘れない毎日。彼女は強い心を持っているから、その日常を維持することができる。自分が強く魅力的なことを知っているから、誰かの願いを叶えられないことに恐れたりしない。


 僕はそういう彼女に勇気づけられ、騙されて走ってきたし、これからもきっとそうなのだろう。誰かを思わず走らせてしまうだけの魅力をもつひとはほんとうに少ない。しかもそれを楽しそうにやり遂げてしまう人は一握りもいない。でも誰かの願いを叶えられないことに恐れずにいることは僕にだってできる。無邪気に美しさを求めることくらいなら僕にだってできる。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/101226/edc1012261801000-n1.htm
http://togetter.com/li/83315

(2010.12.28)
(2012.12.16誤字修正)

夕焼けアイス

 目をぐるりと動かして「テンナイデオメシアガリデスカ?」と彼女は言った。言っている途中で一回舌をかんで少し恥ずかしそうにする。僕は微笑を返して、バイトを始めたばかりの高校生なのかな、と思っている。よく日にやけているのは体育会系の部活にでも入っているのだろうか。少し出っ歯気味ではあるけれど、くるくると瞳が動いて溌剌とした表情につい視線が引き寄せられる。そういう子だった。
 僕の注文した品物を揃えながら、彼女は先輩らしき男の人に、ほとんど視線だけでやってもいいか、と訪ねている。男の人がなにか答えて、彼女は無邪気な声を上げる。無駄のない腕がしなやかに動いている。僕はまた少し笑った。


 彼女の声に送られて、僕はアイスを舐め舐め、帰途をたどる。あの夏、赤い夕焼けを仰ぎながら僕は、がんばれがんばれ、とあの子と僕に言い聞かせていたのだった。

(2012.3.6)
(2012.12誤字修正)

どこの誰でもない誰かになれない

 僕と彼女は和風カフェに入ってわらびもちを食べていた。
 大量の黄粉と黒蜜の混ぜ合わさったそれはまるで溶けたチョコレートのようで、僕らは笑った。僕はカメラで笑う彼女をとり、彼女はわざと目を剥いて僕を威嚇した。それからまた二人で笑った。


 久しぶりに会った彼女は、僕がレンズを向けるとにっこりと笑ってピースをした。僕はいちまい、しっかりと撮ってからどうして、と聞いた。どうしてってなにが? と彼女は驚いたように聞き返す。なんでピースするの? 今まであんましなかったからびっくりした。彼女は笑う。
 なんだろう。彼女の声は時々囁くほどに小さくなる。僕と彼女はこういうとりとめのない、害のない、利もない話で何時間も話しあうのが好きなのだった。なんでだろう。もう一度彼女は言って顔をゆがめた。ピースとかしない方がいい? 僕は首をかしげる。どうだろうなぁ。だいたいみんなカメラを向けると変な顔をするか、ピースするか、笑うから、あんまりおもしろくないんだよね。率直な言葉を僕はわざと選ぶ。こっち見ていない顔の方がよいと思う。ほうほうと彼女は老人のようにうなずく。でも、僕はレンズの中を覗き込みながら続ける。あたしはぴーすするよちょうするよ、だって笑顔はひきつるし変顔したらマジでおわってるし、シャッター切るまでの間が持たないし、ぴーすいつとんの!いつとんの!まだ!まだ!とか言ってないと恥ずかしすぎて死ねる。彼女は笑う。あんたのはピースじゃなくて眼つぶしだ、もしくは幼児のブイサインだ。そんなことないよ、ちゃんとピースしてるよ、と僕は言う。彼女はただ笑う。そしてまたなんだろうね、という。
 なんだろう、恥ずかしくなっちゃうんだよね。たぶん、すごい昔の人みたいに写真に撮られると魂がとられると思ってるかそれに近い感覚があるんだと思う。すっごい見抜かれてる、みたいな。だからどこの誰でもない誰かになろうとするんだ。それでみんなピースしたり笑顔になったりする。彼女は少し首をかしげる。僕はそのまま続ける。
 なんていうんだろう、写真をとるのって一瞬だから、その一瞬に何かにじみ出てしまうけど、それは絶対に制御できないっていう、そういう感じ。
 他の誰でもない自分、ではなくどこの誰でもない誰か、と彼女が呟く。僕は唇の端をあげてその言葉を受け止める。でも写真をとるときはそういうどこの誰でもない誰かをとっても面白くないんだよね、愛がもてない。愛がない。愛がない写真はつまらん。彼女は声をあげて笑う。そうか愛か、と笑う。僕は笑ってその言葉を受け止める。首をかしげたまま少しうつむく彼女の視線に先にあるものを想像して、僕はその横顔を美しいと思う。


 隠しきれない自分自身の本性に怯える僕がレンズに映ってぼやけている。おなじように隠しきれない何かが現れる瞬間を見たくて、僕はファインダーをのぞく。その何かを、ほかの人のものなら僕は美しいと思うのに、自分のものには怯えるのだ。
 撮らせてよ、と彼女は言った。僕はいちまいだけだよ、撮るときは何も言わないでと言ってカメラを渡す。彼女は分かったと言って、しばらく膝の上にカメラを抱いている。僕たちはまたくだらない話をする。暑い夏の中で空を仰ぐ。水を飲み、甘いものを分け合う。カメラがその空気の中に溶け込んで見えなくなるころに、彼女は撮ったよと笑って僕にカメラを返す。
 写真の中の僕はうつむいて笑いをかみ殺している。

(2010.8.11)
(2012.7加筆修正)

彼の中には他者がいない

 彼は分からないと言われると、背景を丁寧に説明しようとする。僕はたいてい背景は分かってるけど理由かやり方が分からないか、もしくはそれが最適であるかどうかが疑問だと思っているので、彼が説明し始めるとどうやってわからないところを伝えればいいのかと頭を悩ます。
 彼の中には他者がいない。
 彼の中には他者の心を考える装置がない。
 彼の中には他者の考えを尊重したり、それを尊敬する気持ちがない。
 彼と話していると時々、のっぺりとしたまっ平らでとっかかりが全くない、すべすべしたアルミの板が目の前に立ちはだかっているような錯覚を覚える。
 僕は。考える。この人は何を言わんとしているのだろう。この人は何がしたくてしゃべっているのだろう。この人の描いているゴールは何だろう。そしてそれは必要だろうか。ないと困るものだろうか。それをどうやって伝えればいいんだろう。彼のルールの中で、どのボタンをおせば、彼にその信号は届くだろう。彼はそれを理解できるだろう。僕は考える。


 僕は彼は好きではないが、嫌いでもない。彼は、自分が面白いと思うことや、やりたいと思うことから世界を作り上げることに長けている。その世界は精緻で複雑で、しかし細部にわたって神経が張り巡らされていて、まるきり彼自身のようだ。僕はそれが分かるときはすごいと思う。わからないときは困ったなとその世界をこわごわと遠くから眺める。
 その世界の中にはやはり他者はいない。なぜこうなっているんだろう、これをやりたいならほかにもやり方があるのに、と思うときはだいたい彼がそのやり方を試したかっただけのことが多くて、そのやり方を試すために世界の規律をゆがめてしまっていることがある。その世界を解きほぐして理解するには、彼にならなければわからない。それが最善かどうかは、いつも定かではない。彼が言葉を発し、これをしてほしいというときは、彼の中で既に世界は構築されていて、その通り作ることを求められるから、最善であるかどうかは彼の中でもう決まってしまっていて、口を挟んでも彼には届かない。


 たぶん。僕は時々絶望に近い感情に向きあいながら彼の説明を、言葉を聞く。彼にはこころがなにかわからない。他者が何か分からない。だから、彼が他者に作用しようとするときは、定型句やマニュアルを駆使するしかない。
 こういえば、彼女は喜ぶ。こうすれば、彼は代わりに作業をしてくれる。そういうマニュアルが彼の中に大雑把に作られていて、でも彼にとってそれはよくわからないものだからしばしば不完全なままほったらかされている。そして彼は時々誰かを怒らせたり、嫌われたり、よくわからなくて困るなどと言われているけど、なぜそういわれるのかが分からない。
 彼にとって他者は機械と同じなのだ。つまみを30度回転させて、赤いボタンを二回押し、白いボタンを一回押すと、相手はわかったといってくれます。そういうマニュアルを彼はいつも手の中に隠し持っていて、他者とコミュニケーションをとろうとしている。彼の中で、わからないというのは背景が分からないといわれていることに等しくて、背景さえ分かれば自動的にやり方は一つに決まると思っているのだ。だから一生懸命説明する。でも相手は分からないままで、彼はなぜだろうと不思議に思う。
 この機械は応答してくれないなぁ。おかしいな。コマンドが違うんだろうか。前はうまくいったのにどうして今日は受け付けてくれないんだろう。


 彼の言葉がある程度まで来ると、僕はひとつひとつ尋ねる。背景は分かりました。これはこういうことですね。いいですね。うんと彼は答える。
 これをするときには方法1のやり方でやりたいということでいいですね。彼はうんとうなずく。
 でもこういう方法もありますよね。ん? と彼が首をかしげる。それからそのデメリットについて話す。メリットについて僕が言う。最初の方法のデメリットについて聞く。彼はそれにこたえる。
 ひとつひとつそうやって彼の中のボタンを押す。ぴかぴかしていて冷たくて、どれがどれだかよくわからないボタンを一つずつ押す。彼は少しずつ混乱して、頭を冷やすために休憩しなさいという。僕はそうですか? ここまではちゃんと理解できてますよね。今の話の焦点はここですよねという。彼はわかった、疲れてきたから休憩しようと言い直す。話している間、彼はずっと無表情だ。


 彼が頭を冷やしに行くのを見ながら僕は考える。僕はあまりわかってないだけだし、毎回一つずつボタンを押してわかるまで確かめるだけだから構わないけれど、でももう少し人を好きになってもいいんじゃないかなぁ。人は機械じゃないし、言い方によってはむっとすることもあるし、疲れていることもある。彼を嫌いな人もいるし、好きな人もいる。だから毎回同じ手続きを踏んだって同じ答えは返さないのに、どうして変な方向に頑張るんだろう。
 頬杖をついて僕は思う。彼よりずっと大雑把で散漫な世界を持っているかもしれないけど、誰かの世界をだれかの視点から理解するのに長けている人もいるし、簡素で美しい世界を持っていて、すぐに誰かの話を自分の世界に投影して理解することができる人もいる。複雑さや細かさや、そういうあれこれだけで評価できるほどそれぞれがそれぞれの中に持っている世界というのは簡単じゃないのに、わからないのかな。わからないんだろうな。わからない人に期待してもできないものはできないんだよな。僕はまだ一つずつボタンを押していくことしかできないけど、もう少しいい方法を考えるべきなんだろう。

(2010.7.3)
(2012.7加筆修正)

うさぎは孤独を知らない

 孤独を抱えて眠りにつく。孤独は冷たく滑らかだ。僕がうさぎのぬいぐるみのおなかだか耳だか足だか顔だかがよくわからなくなったころ、眠りは僕の隣で落ち着く。
 孤独はぬいぐるみの中までは浸食しない。ぬいぐるみは孤独ではないからだ。
 でもかといってほかの何かなわけではない。ぬいぐるみには動きも感情も何もないから、ただ孤独が入り込めないだけなのだ。だからあたたかい。
 隣に誰かいても、孤独はぴたりと張り付いている。誰かにも、孤独は同じように張り付いている。氷のように冷たければ僕はそれを排除しようと躍起になるだろうけれども、夏の板の間のように肌に心地よい冷たさだから、僕は孤独をどうにかしようとは思わない。やりきれないひたひたと足元をぬらすさみしさに、僕は誰かの腕につかまったり肩に額をくっつけたりしながら孤独を抱いて眠る。ぐっすりと寝ている人はぬいぐるみに似ている。柔らかくあたたかで、孤独ではない。だから僕は安心して寄り添うことができる。
 眠りかけている人は孤独そのものだ。呼びかければ答えるけれど、けして僕にかまってはくれない。その心は夢の中にほとんど行ってしまっていて、僕を見ていない。僕は極限までさみしくなって、誰かの孤独に侵食される。そばにいるのに、届かない。指を握りしめても腕につかまっても、孤独はどこまでも深まる。相手の分の孤独までが僕を包み込んでしまうから、僕は膝を抱える。孤独はじわじわと僕を侵食し、僕の心をわしづかみにして握りしめる。僕は呻く。耐え切れない冷気が僕を凍りつかせる。人の寝顔を見ながら僕は抱えきれない孤独に困惑する。静けさの中で僕は思う。



 孤独だ。



 なぜ僕はこんなにもさみしいのだろう。
 夢うつつにうさぎをなでながら僕は考える。
 うさぎは今日も柔らかくあたたかい。けして僕の孤独は引き受けてはくれないけれど、ぬいぐるみは孤独ではないから、僕のほうへその分が流れ込んでくることもない。僕は安心して眠りにつく。朝起きればぼくはそいつを枕にしているかもしれない。あたたかくて柔らかいそいつはとても軽いから、僕の腕から飛び出して行ってしまう。

(2010.7.21)
(2012.7加筆修正そしてまだ孤独です)