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深夜の客人

 僕は寂しさを覚えた。
 それは唐突にやってきて、しかも去っていかなかった。僕は困惑してなぜだろうと思った。
 辺りは静かだ。太い大きな道路がすぐそばを走っているが、深夜ともなれば交通量は減る。終バスがいってしまえば、この一体はしん、と静まり返ってしまうのだった。その中で僕はコーヒーを飲み、文字をつづっている。寂しさはそこに突然やってきて、僕の袖を引いたのだった。
 なぜだろうと僕はまた思った。
 この生活は満ち足りている。部屋は広くなったし、好きなものはそろえたし、ほしいなと思うものはあるけれども、すぐに必要だとは感じていない。仕事には満足しているし、でも夢はあるし、衣食住は足りている。それでなにをさびしいと思うことがあるのか。
 でも僕は、さびしかったのだった。今この部屋に一人、こたつに足を突っ込んで鼻歌を歌っている自分自身が、奇妙に思えてならないのだった。空気は唐突に手触りも温度も失って、ぴっちりとサランラップにくるまれているような錯覚をする。僕の意識が浮かび上がり、遠くから僕の背中を見つめている。宙に漂う感覚。もしかしたら、誰も僕のことを知らないかもしれない。僕はこの世に存在していなかったかもしれない。そんなばかげたことを、一瞬本気で考えてしまう。


 このままではだめだと僕は思った。はっきりと理解した。
 僕はひとりでも生きていけると思っていた。このまま寄り添う相手がいなくても、どうせ僕には孤独が寄り添っている、その慣れ親しんだ友とともにこの人生を生き延びることはできると思っていた。でもだめだと、その瞬間にわかってしまったのだった。


 さみしい。


 僕は背を丸めて笑った。あれだけ誰かと生きていくのにはむいていないと思い知らされたのに、僕は時々それを忘れてしまう。でもたぶん、むいていないと思い知らされるだけだとわかっているのに、僕はきっとなんどでも、同じ間違いを犯すだろう。

(2013.01.31)
(2014.06.18 加筆修正)

時を渡る

 僕が頭を引っ込めると、青年は窓ガラスに額をくっつけ、おまけに両手の手のひらさえもぺたりと押し付けて、眼下を覗きこむのだった。
 前の席に座るがたいのよい、緑色の目をした青年。金髪の巻き毛が広がり、頭の大きさが二倍くらいになっている。彼の頭が引っ込むと、僕は不思議と身を乗り出して眼下を覗きこみたくなってしまう。僕がしばらく眺めて満足すると、今度は背後でゴソゴソと人の動く気配がある。背後はやはり青年だ。灰色の目をして、どこか愁いのある顔立ちをしている。尖った大きな鼻が窓ガラスにつかない程度に体を乗り出し、携帯電話のGPS機能を駆使して現在地を割り出そうとしている。
 あるときは雲が帯状に、またある時は青と白の二食だけが、そしてある時は凍りついた海と山稜を描く氷河が模様を描いている。街が見えることもあれば、海上に船の軌跡が見えることもある。僕の頭が引っ込むとまた、前の青年がしげしげと外を覗きこむ。
 まるで奇跡のようだ。あるいはこれは奇跡なのかもしれない。
 何度空の旅をしても、たった十時間で陸と海を渡り、初夏から冬へ、そしてまた夏へと戻るこの季節の変遷を上空から座ったまま見ることができるという事実を、僕は現実のものとして理解できない。僕は信じられない思いを抱えたまま窓ガラスにレンズを押しつけ、まばたきをする。かちりと僕の手に、カメラのまばたきの音が聞こえる。はっと僕を振り返った前の青年は次の瞬間にはくるりと新緑色の目を丸くし、にこりと笑う。僕も笑う。

(2013.7.16)
(2013.11.11 加筆修正)

夜明けを思う

 朝に気づいたのは、鼻の頭が凍りついていたからだった。
 2003年の冬の終わり、僕は古い四畳半のアパートに住んでいた。暖房はなく、冷房もない部屋にただいまを言い、換気扇もない、ガスコンロが唐突においてあるだけのおもちゃみたいなキッチンで、僕は毎日料理をした。風呂はなくトイレは共同で、夜になると洗面器を抱えて銭湯に走る。嘘みたいな生活。僕はそう思った。まるで歌謡曲だ。その生活はそんなに悪くなかった。あとほんの少しだけお金があれば、カンペキだった。


 できるだけ体温を維持するために45度の銭湯の湯にのぼせる寸前まで浸かり、北風の中を走って帰る。部屋に戻っても手足はかろうじて生きている。血が通い、自分の意志で動かせる。それから僕はできるだけその暖かさを忘れないために布団に飛び込み、ぎゅっと目を閉じる。凍死しないためには体力を回復させねばならない。体力を回復させるためには睡眠を取らねばならない。しかし睡眠を取れば体温は下がる。凍死しないためと過労死しないための危ういバランスを保つために、僕の生活の全てはあった。
 冬の夜は長い。でも僕には短い夜だ。体温が維持できるのはせいぜい四時間半、十一時半に追い出されるように銭湯から戻ってきてすぐさま布団に入っても、明け方に鼻の頭が凍って目が覚めてしまう。僕はもぞもぞと布団の中で体を丸め顔を温めようとする。今度は首筋が凍り、体の全体が冷える。


 嘘みたいな生活。僕はそう思った。現代の東京のどまんなかで、部屋の中で凍死するなんて、嘘だとしか思えない。それも大学生が、だ。毎朝そんなことを思って五時になると我慢できずに布団を上げ、こたつをしく。ままごとみたいなキッチンで湯を沸かし、コーヒーを飲む。色が付いているだけの薄い、薄いコーヒーを名残惜みながらちびちびと飲む。


 すりガラスの向こうに変わっていく橙色の空を今でも覚えている。あの橙は生命の色だった。その色が見えれば僕はこれからの一日を凍りづけにならなくても良かった。次の夜を走り抜けるために、つかの間の日差しの中で体を温めることができるのだった。僕は夏を待ち焦がれ、白い息を吐きながら手をすりあわせているほかなかったのだ。


(2013.1.14)
(2013.4.5 加筆修正)

およそ三百六十五日のひそやかな戦争

 三十五日目、電話がなった。君からだ。
 りん、と澄んだ音を立てて空気が震える。水が毀れる時のような繊細な音はたった一度だけ鳴り、そして静かになる。その音が、君が私に生きていることを知らせるたった一つの方法なのだと、私は知っている。
 ベッドの中でからだの力を抜いて、私はその音を聞く。長くなってきた髪の毛が、私の二の腕からこぼれおちている。夜がふけ、人々が眠りにつこうとする時間になると、きまってその音は聞こえる。音が聞こえるたびに私の心臓はかすかな音を立てて共鳴する。電話がなりはじめた瞬間に走っていって、受話器を取りたいという衝動が体をとらえる。
 でも、取ってはいけない。
 君の声を聞いてはいけない。
 その瞬間に、私と君との間をつなぐこのささやかな抵抗は終わりを告げると、私たちは知っている。私は目を閉じて、君のことをおもう。
 ただ、君を、おもう。
 君が私の肩を叩いた日のことは今も覚えている。君は丸い目に私を映して、学校はもう終わったよ、と落ち着いた声で言った。私は無言で膝を払って、立ち上がった。そして君の差し出した手をつかんだ。


 あのころ、私は孤独だった。
 四年生にあがった日、私たちは教室の中でざわざわと話をしていた。学年が上がっても学校には学年につきひとつしかクラスがないから、クラスメイトはみんな顔見知りだ。小さい頃からの知り合いで特別なことはなにもない。
 変わったのは担任の先生だけだった。つり目のほっそりとした面立ちの先生は男子ばかりひいきするので、私たち女子はあまり好きではなかった。そして先生はきっと、私のことを目にした瞬間から嫌いだったのだろう。
 教室に入ってきた先生に気づいてみんなのざわめきがおさまる前に、先生は私の机のところに神経質なくつ音を立てて歩み寄ってきた。私はからだをこわばらせて先生を仰いだ。
 先生は私に言った。黒板の前に立っていなさい。理由はわからなかった。私は無言で席をたち、教室の前まで歩いて行った。しん、と世界が静まり返っているのに、視線だけが痛いほど背中に突き刺さっていたことを覚えている。
 その日から、私の席はなくなり、誰も私には話しかけてこなくなった。私にはなぜその罰が与えられたかはわからなかったが、理由を聞くことは許されていなかった。
 先生の言い渡す罰は時々変わり、黒板の前に一日立っていることもあれば、床に座らされていることもある。私はチョークの粉が溜まっている黒板の隅っこをじっくりと眺めたり、古い木の床の木目の規則性を考えながら一日を過ごした。そんな私が気に入らなかったらしい先生は、また硬い声で言った。誰が目を開けていていいと言った、閉じなさい。
 そして私は孤独になった。


 四十二日目、電話がなった。君からだ。
 目を閉じている私には時間の流れがわからない。授業は私の頭の上を通りすぎていく。聞こえるのは私の体の中を通る空気の音だけだ。見えるのは爪の上で踊る木漏れ日だけだ。足の下のあたたかい木の感触の溶けていくような錯覚をすると、自分が世界の中に拡散していくような気がする。退屈な授業をぬけだし、私は空気の中を歩きはじめる。先生にもクラスのみんなにも気づかれないまま外へ出て、通りを歩き、体いっぱいに空気を吸う。私という境界線は薄れ、隔絶された世界の中に私は溶けていく。
 そんな錯覚が私を慰め、現実の中に私を引き止めている。
 超高齢化社会が到来してから五十年、といつだったかお父さんが言っていた。はたらくことのできる人々の割合がお年寄りの割合よりもすくない、という意味だ。そのうえ子どもは減り続け、そしてお年寄りは増え続けている。
 お年寄りが増え続けて働く人がいなくなれば、くにはちんぼつする、とお父さんはさらに言った。経済が停滞する、と学校でも教わった。働く人がすくないので、お金をたくさんもうけることができないのだ。その上お年寄りが多いので、福祉にお金がかかってそれ以外のものに手をかける余裕がなくなってしまう。
 経済が停滞すると道はでこぼこになり、電気や水道はしょっちゅう止まるようになり、世話をしてくれる人がいないお年寄りがどこかでいつの間にか死ぬようになる。街に活気はなくなり、やがてゆっくりと船は沈んでゆくだろう。そんなふうに私たちは未来を習った。
 その未来の到来を先延ばしするために、私たち子どもは最小限の労力で最大限の利益を出すおとなにならねばならないのだった。子どものころから訓練させられ、健康で無垢な十全たる働き蜂になるように(その難しい言葉は君が教えてくれた。私もなんとなくその響きが気に入った)、育てられるのだ。
 私たちは勉強をたくさんする。学ぶべきことはたくさんある。勉強も昔よりずっと難しいことをしているのだという。お父さんとお母さんは私の宿題がわからない。そんなに難しいものじゃないのに、学校で習ったことがないからわからないのだ。そうやって勉強をたくさんして知識を得るのは悪いことじゃない。でも勉強のしすぎで体や、心がねじ曲がってしまわないように、大人はいろいろなことを考えている。
 からだの健康をそこなわないように心を配るのはそんなに難しいことではない。大人たちは子どもに乗り物を使わせず、運動をさせる。バランスの良い食事をさせる。早寝早起きをして、体操をするので、私たちはすくすくと育つ。
 こころの健康をそこなわないようにするのは少し難しいのかもしれない。大人たちは、こどもが妙なことを考えて時間を浪費しないように、娯楽を与えない。私たちはたくさんのものを奪われ、そして管理されている。
 そんな日々の中で、私は孤独だった。私に声をかけるのは、君だけだった。
 君は帰ろうよ、といった。朝来るときはいつも一緒だし、帰る方向は同じだったから、別におかしなことではなかった。私たちは手をつないで帰途をたどった。そして、一旦それぞれの家にたどり着いてから、君は私の家に来て、今日の授業の復習をする。お母さんは私たちの仲が良いことを知っているから、他の家のお母さんみたいに、男の子と一緒にあそんじゃいけません、とは言ったりはしない。二人で勉強していると、どちらかというとにこにこして機嫌がよくなるほどだ。
 君とは以前から仲が良かった。家が近かったし、お父さん同士の仲が良かったから、小さい頃からいつも一緒にいた。だからだろうか、孤独の中にすっかりと溶けてしまっている私を見つけられるのは君だけだろうと、私は勝手に思っていたのだった。君ならきっと手を差し伸べてくれるだろうと、そう信じていた。説明ができないけれど、君はそういう人なのだ。
 一日の復習はたった三十分だけだ。一日はとても長いのに、本当にやったことを考えるとたった三十分で済んでしまう。おとなたちは私たちを子どもとして扱うことを仕事として、仕事以外のことはしない。だから三十分を薄く、薄く、透き通るまで伸ばして、私たちの時間を食いつぶしていると、大人びた顔で、つまらなさそうに君は言う。
 学校は工場だ。ぼくたちが食べるぶたやうしや、とりを作る工場とおんなじだ。ぼくたちは家畜にならなきゃならない。そして少しずつ肉を切り取られる。肉を切り取られたら痛いけど、痛いことがわからないように大人はぼくたちを苦しめて、慣れさせてる。君はそう言って、鼻を鳴らす。
 三十分の復習のあと、私は君と話をする。君が私を世界につなぎとめている。私は笑う。私は相槌を打つ。私は話す。私は答える。そして私は、君に触れる。君の背中に耳を当て、君のからだの中で規則正しく打つ、脈動に耳をすませる。
 私が黙って心臓の音を聞いていると、君はお父さんから聞いたという話をする。
 規則的な、一秒か二秒に一回くらい振動する箱を両手で持っていると、その箱が大事に思えてくるんだって。私は、なんで、と目を閉じたまま聞く。
 君のからだは少し汗のにおいがして、骨ばっていて、私のからだとよく似ている。私は女の子で、君は男の子で、その違いしか私たちは知らない。十全な子ども(君はよくそんな言い回しをする)には性別の違い以外の知識は必要ないからだ。
 生き物とおんなじだからだよ、と君は少し沈黙した後に言う。
 生き物と同じだから。
 うん。それで少しあったかかったり、ふわふわしてると、もっと生き物みたいに感じて、離したくなくなっちゃうんだって。私はふうん、と相槌を打ってまた君の脈動に耳をすませる。君のその振動が私を私のまま、この世界につなぎとめている。


 五十八日目、電話がなった。君からだ。
 私たちはたくさんのものを奪われている。子どもの害になると大人が決めたものは、みんなこの世界から消えてしまった。効率良く仕事をするための働き蜂に、娯楽はいらない、自分の考えもいらない。ある一定の距離を保つための礼儀正しさと、愛想の良さ、それさえあればいい。それさえあれば喧嘩は起こらないし、ひととひとの間にまさつは起こらないと大人は考えている。だから子どもたちに訓練をさせる。
 本だけが私たちに残された唯一の娯楽だ。本はよいものだと大人たちが決めたのだ。
 でもその本も、大人たちの手でたくさんのものが削られている。大人たちが私たちに読むことを許したのは、友だちや両親や、おばあちゃんやおじいちゃんをたいせつにすること、大人をうやまうこと、それから仕事をするのは何ごとにもかえがたい、素晴らしいおこないであるということ、それだけだ。
 空が青いことも、揺れる木もれびのうつくしさも、清澄な空気のかおりも、大人たちはいらないものだという。幸せな気持ちになれる甘いお菓子も、あたたかいてのひらの感触も、背中に耳をつけて感じる心臓の鼓動も、仕事をするには不要なものだと大人たちは思っている。
 でも一日そればかり眺めている私が君にできる話はそれだけだ。君は目を輝かせて広い世界に思いを馳せる。私たちが毎日歩く通学路の中に、広い世界のかけらを見出そうとする。
 そんな君が、あの本を持ってきたのは偶然ではないだろう。
 君はどこからかその本を手に入れてきた。図書館の本であることは背表紙のラベルからして間違いがなかったが、表紙は色あせてすっかり文字が読めなくなっていた。ページもすっかり茶色に変色していて、ところどころ破けていたり、虫が食っていたりする。私がどこで見つけてきたのかと聞いても、君はないしょ、というばかりできちんと答えなかった。

 電話がなっている。君からだ。

 君はかすれた声で冒頭を読み上げた。その声だけで、なにかじんとするような痛みが、お腹の深いところで泣いた。
 私たちはベッドにならんでうつぶせになり、同じ本の同じページを読んだ。読むのが早い君は、まだ? とすぐに言うから、私は君の横腹をつついた。君は身をよじっては逃げ、私のお腹をつつき返す。そんな繰り返しをしながら、私たちは本を読んだ。
 本はところどころページが破り取られている。途中にきっと、大人が子どもに見せてはいけないと思うものが書いてあったのだろう。よくあることなので、私たちは気に留めなかった。
 哀しい話だった。
 本の中の世界は、私たちの世界とは逆に、人があふれすぎているのだという。人があふれていて、食料が足りないのである。それで十五歳になる年に試験を受けて、世の中の役に立たない人間は、食用の肉になってしまうのだ。人口調整をしているんだね、と君は言った。私は頷いた。
 「君」とよばれている女の子は十五歳になる直前に足を失い、試験を受ける資格を失ってしまう。つまり肉になるほかないのだ。主人公の「ぼく」はあまりできが良くない子どもだったけれど「君」に勉強をみてもらい、試験を受けて、よいクラスに入ることができる。よいクラスに入れば、その後の人生もよりよいものと約束される。とても喜ばしいことだ。
 でも「ぼく」はそのことをつらく、苦しくおもっている。「君」と一緒に肉になってしまいたいのだった。冷凍庫の中に黙って吊るされ、誰かに食べられる肉になりたいと、そう願っているのである。
 私にはその理由がわからなかった。途中の破り取られたページにきっとそのことが書いてあるのだろう。

 ぼくの触れた君の肉が

 君がまた音読する。私はどういうこと? と尋ねるけれど、君はわからないといった。でもなんだかとても大事なことだと思ったんだ、と君は横顔のまま呟いた。私も同じことを思っていた。
 それから、私が相変わらず目を閉じて世界から隔絶されている間に、君は破り取られたページを見つけ出してきた。文字は全て暗号になっていて、なにが書いてあるかはわからない。きっとどこかの誰かも同じことを考えていて、大人に見つからないようにそのページを書き換えてしまったのだろう。
 でも私たちはそれを読みたかった。消えてしまった空白を埋め、肉になりたがっている「ぼく」のきもちが知りたかった。それを知らなければならないような気がした。それで、私たちは一生懸命にそれを解読したのである。
 暗号は速記文字と呼ばれる、ふるい記号だった。君が一文字ずつ読み上げて、私はそれを書き取った。君のかすれた声が、空気を震わせるたびに、私の耳は緊張した。


 七十一日目、電話がなった、君からだ。
 今思うと、君は他の人たちとは少し違っていたような気がする。いつもなんだか少し冷たい口調で君は話すのだ。それは君がほんの小さい頃からの癖で、私はそのことをよく知っていて、どちらかといえば当たり前だと思っていた。君のように話せない自分が本当は少し嫌いだった。
 普段、孤独の中に完全に溶けこんでしまっている私も、時々寂しくなって教室に戻ってくることがある。教室の中にいる人々の声は遠く、私のことを避けているようだ。私は俯いたまま薄目を開けて、てのひらに食い込む爪の感触に、自分が存在していることを確かめる。時々透明人間か幽霊になってしまったかもしれないと私は恐れることがあった。君なら、きっとそんな私のことは笑い飛ばして、大丈夫だよというだろう。ちゃんと足がある。手もあったかいし。そしてにっこりと笑うのだ。
 その声が聴きたくて、私はじっと待っている。でも時々、君はすっかりみんながいなくなっても私の肩を叩きに来ないことがある。私はなぜだろうと考えながら、なにも気づいていないふりをする。先生がいないことをいいことに目を開いて教室を眺めている。教室には橙色の陽が線を引き、濃い黒い影が壁をゆっくりと這っている。足音が聞こえるたびに私は目を閉じ、足音が通り過ぎるとほっとして目を開く。
 君はどこへ行っていたのか。でもそれを聞くのは恐ろしかった。どういうわけか、私はそれを恐れていたのだった。もしかすると、答えを知っていたからなのかもしれない。


 八十七日目、電話がなった。君からだ。
 子どもたちの通信手段は、不要な情報にふれさせないため制限されている。こどもがいる各家庭には古い電話がひとつ置かれ、その電話は大人が取り次がなければならない。大人の目を隠れてこっそり子どもが悪いことをしないように、大人がそう決めたのだ。
 でも、だからこそ私たちにとって、電話はとても身近なものだった。耳のそばで、機械でかえられた友だちの声が聞こえるのが楽しくて、低学年の頃、私はよく友だちの家に電話をかけた。友だちもよく私に電話をかけてきた。それが私たちの遊びだった。遠いのに、近い。近いのに、そばにいない。それが不思議で楽しかった。
 成長するに連れ、私たちはその遊びを忘れていった。もっとたくさん学ぶべきことがあったし、遊ぶなんてくだらないことだと、いつの間にか思うようになっていたのだった。
 でも、君は覚えていた。今になればわかる、君は決して忘れていなかったのだ。だから今もこうして、毎日、電話をかけてきている。私は目を閉じて、君をおもう。君の体温を思う。君の振動に耳を澄ませていたあの頃を、思い出そうとする。
 暗号の解読中にわからない言葉が出てくるたび、私たちは辞書を引いた。でもその言葉のほとんどは辞書から消されていて、大人が使っている辞書を見なければだめだとすぐにわかった。私たちはその言葉を知りたかった。
 きすってなんだろう、と君は眉間に皺を寄せていった。私はわからないと答えた。まったく想像ができない言葉だった。
 君が意味をこっそり調べてきたのは、ちょうど八十八日前だ。君はきらきらと目を輝かせて、わかったよと言った。私は慌てて君に顔をよせて、どうやって? と尋ねた。君はあいかわらずないしょ、と言うばかりだったけれど、キスがなにかは教えてくれた。
 唇と唇を合わせるのだ、と君は言う。それの何がいいのか、私たちにはわからない。君は試してみようといった。なにかわかるかもしれない。
 そして、私たちはキスをした。
 君の鼻息がくすぐったくて私は笑った。たぶんきっと、君が思っていたものと私たちがしたものは少し違っていたのだろう、君はおかしいなぁと首を傾げていたけれど、二人でひみつのことをしている感覚は悪くなかった。
 その日、君は私の心臓の音が聞きたいといった。私がしていたように背中に耳を当てて聞いてみたかったのだという。私は快諾して、君が背後にいる間、速記文字のテキストを眺めていた。君は私のお腹の前でかたく指を組み、ものも言わずに耳を傾けていた。君の額の丸い感触と、私に触れる体のあたたかさが、君が帰ったあとも残り、私はその翌日、君にその話をしようと心に決めて眠った。
 しかし、私が君にその話をすることはなかった。私たちがキスをした翌日、君は思考矯正施設へと送られたからだ。


 百二十三日目、電話はまだ鳴っていない。
 君がいなくなった日、担任の先生がかわった。ふつう、クラスの中から思考矯正施設へ送られる児童がいた場合、担任の先生は別の学年のクラスに異動になるだけだ。でも、先生は学校からいなくなってしまった。どこへ行ったのかも、新しい先生は教えてくれなかった。きっと、たぶん、これは私の憶測でしかないが、教えられないところへ行ってしまったのだろう。君が送られたところよりもっと怖く、恐ろしい場所だ。二度と戻ってくることのかなわない遠いところへ行ってしまったのだ。
 久しぶりに話をした友だちは私に、変だね、といった。そして怖いね、と言った。まさか思考矯正施設に送られる人が近くにひそんでるなんて思わなかった。怖いね。
 私は答えなかった。答えなくてもいいと思った。私はわかってしまっていた。君が持ってきた本がどこからきたのか、キスの仕方を誰から教わったのか、先生がどこへ行ったのか。私にはなにもかもわかった。だからなにも言いたくなかった。胸の奥から氷がぶつかり合うようなかすかな音が聞こえて、私はひっそりと唇を噛んだ。
 授業を始める前に先生は説明をした。君が思考矯正施設に送られたのは、やってはならないことをしたからだと、いう話だった。クラスのみんなはざわざわとして、誰かが怖いねとまた言った。私は黙って、新しい先生の顔を見つめた。
 いけないことをした子どもは、罰を受け、二度と同じことを考えないように思考矯正施設に送り込まれるのだった。そこで何をしているのかはわからない。でもきっと、とても恐ろしいところなのだろう。大人は子どもを怖がらせるときに、そこに送り込むぞと脅すから。
 矯正が済んで送り返されてきた子どもは、にこにことよそゆきの顔で笑うだけになってしまう。余計なことをなにも考えられなくなるのだ。そういうふうに矯正するのが、その施設の役割なのである。
 きっと君はもう、私に脈動を聞かせてはくれないだろう。私に触れてはくれないだろう。あのかすれた声で、気に入った文字を読み上げることも、きっとないだろう。本を読んでいるとき君は口をへの字に結んで、涙をこぼしていることを私に悟られないように息を殺していた。でも鼻をすするのだけはどうしても我慢できなくて、違うよと私にいいわけするのだ。でも、そんな君もきっともう、二度と見ることはできない。
 君は工場で生産される肉になる。フックにかけてつるされた、ものいわぬ肉になる。そう思うたびに、いつだったか君と並んで本を読んでいた時に感じた、鈍いおなかの痛みが、私を悶えさせる。
 私は君をおもった。背中に残る、きみの額の感触をおもった。私は肉になりたかった。切実に今、肉になりたいと思った。でも私はなれなかった。友達の声を聞きながら、私は君が読み上げた言葉を心のなかで繰り返していた。

 ――有効で、仕方のない、社会の仕組みなのだ。

 君の重々しい声がまだ耳の中に残っているのに、私には君がなぜ、あの言葉を読み上げたのかがわからない。いまもまだ、わからない。私がなぜ、君と同じように思考矯正施設へと送り込まれなかったのかも、そして私が肉になれない理由も。
 残された私は席を与えられ、授業を受けることをゆるされるようになった。忙しく手を動かさなければならなくなったせいで、広い世界のことを考えている時間はなくなってしまった。私は寂しかった。私の世界が失われてしまったことが悲しかった。私をつなぎとめていたあの脈動が聞けないことが苦しかった。君の座っていた席をあてがわれた私は、君のことを少しでも記憶の中にとどめようと、時々木でできた天板を指でなぞった。


 百三十九日目、電話が鳴った。君からだ。
 りん、という細い音に私は君の声を思い出す。目を閉じ、教室の中を埋めていた橙色の夕陽を眺める。どこか遠くから誰かの声がしていた。
 下校時刻を過ぎて、教室はひっそりと静まり返っている。埃の落ちている音すらも聞こえるほどの静寂の中に、時折車の音が混ざり、そして消えていく。私は耳をそばだて、かすかに聞こえる断続的な人の声に耳を澄ませていた。あの静寂の中でも声は殆ど聞こえなかった。私がその声を捉えることができたのはたぶん、かすれた、君の声だったからだ。
 君が誰かと話している。その誰かを私は知らない。君はずいぶん長く話している。時々感情的になり、でもすぐにまた声をひそめ、いつものように冷たい口調で投げやりにことばを吐き捨てる。
 どうして。
 どうして、君はそんなふうに誰かと話し込んでいたのだろう。どうして、私の話をしていたのだろう。どうして――私を信じてくれなかったのだろう。それとも、私の言葉が信じるに足りない何らかの温度を持っていたのだろうか。
 夕陽に温まった床に触れ、私は君のことばを思い出している。一秒か二秒に一回くらい振動する箱を両手で持っていると、その箱が大事に思えてくるんだって。それで少しあったかかったり、ふわふわしてると、もっと生き物みたいに感じて、離したくなくなっちゃうんだって。
 床は振動を繰り返さない。でも、私の心臓の鼓動が床の上で反射して、私の指先を震わせる。あたたかい床。私は君の鼓動を思い浮かべながら、耳をそばだてている。
 君の声は途中から聞こえなくなる。私の耳は君の声を探してさまよっている。息を止め、心臓の鼓動さえも止めて、君の声を探したいと、そう耳が言う。私はまぶたを固く閉じ、君の声を思い出そうとする。
 どうして。
 あの日、キスがなにかを知った日、君はその言葉を言わなかった。静寂のわずらわしいノイズの中で、私は胸騒ぎがしてゆっくりと深呼吸を繰り返すばかりだった。君は一言も感情的な声音を漏らさず、ほんとうにかすかな声で誰かと話をしている。なにを話しているのか、私には聞こえない。どんなに私の心が自由でも、君の声は聞こえない。私は君のとなりにいないし、私の指先にあるのは君の手のひらではないし、汗臭い匂いは君のそれとは異なっている。
 君は随分長い間黙りこくっていたように私は記憶している。永遠にも思える重苦しい沈黙の後、まるでその気まずさを振り払うように君は廊下を走って私のところへ戻ってきた。そして私に小声で言ったのだ。わかったよ、と。それから私に耳打ちをした。囁く声は相変わらずかすれて、私の耳が驚いたように小さくなる。君は気づかずに言った。家に戻ってから、教えてあげる。
 私は君を見つめ、それから差し出された手を、ぎゅっと掴んだのだった。てのひらはかすかに汗をかき、君の体温とは異なっている。私はまばたきを一つして、うんと頷いた。


 百五十一日目、電話が鳴った。君からだ。
 君がいなくなってからも、私は慎重にひとりで暗号の解読をすすめている。お母さんに見つからないように、紙にできる限り小さな文字で書き付けて、ゆっくりと一文字ずつ解読する。文字の流れは美しく、耳に聞こえるその一音一音が、完璧な順番で、はっきりとした意味とかたちを持ち、私の中に入ってくる。
 ひっそりと待ち構えている冬の静けさの中で、私はことばを頭の中で繰り返しながら、毎日一人で通学路をたどる。私の指に、あのあたたかい手のひらは触れない。私の指をぐいぐいと引く腕はもうどこにもない。だというのに、私には気味の背中が見える。顔半分だけ振り返ってなにかを指差す君の幻影が見える。その幻影が見えるたびに私は泣きだしたい気持ちに悶える。
 たくさんの知らない言葉。知っていてはいけない言葉。大人が私たちから奪おうとしている、心。私の触れた、君の振動、君のぬくもり、そして君の肉。
 私は女の子で、君は男の子で、でも違いはそれだけではない。二つの性別があるのは、意味があることなのだと、君のいない秋を通り過ぎ、冬の中で足を止める私は知っている。でも君はもう、それを知ることは許されていない。
 電話がなった。りん、と空気が震えた。私は耳をそばだて、君の脈動がどこかから響いてこないかと息をひそめている。
 君はまだ生きている。肉になっていない。君がこうやって電話をかけてくる限り、君は私と解読しようとした物語を覚えていて、大人の思い通りにはなっていないことを私に示している。君がどうやって電話をかけているのか、私は知らない。でも毎日、決まったように一度だけベルを鳴らすのは、君以外にいないだろうと確信している。私ならわかると信じて、君はベルを鳴らす。君ならきっと、そうするだろう。
 君はよく言っていた。毎日、学校行きたくないって思ったりしないの? 私は首を横に振って君に答えた。
 思わないよ。全然、たいしたことないから。先生は私の心をとりあげたりできないし、目を閉じていたら、どこかとても遠くに行くことができる。だからなんともない。多分たいしたことないって私が思ってるから、あの先生は私のことが嫌いなんだ。
 君は感心したようにため息をつく。私たちは手をつないで、初夏の木もれ日の下を歩く。くっきりと道路に影を落とす、めまいがするほどに眩しい盛夏の中を走る。大人たちは道を歩いたりしないから、そんな私たちには気づかない。ただ、私たちがそれぞれ、学校を出て、家に戻る、その経過時間の数値のことしか知らない。
 ベッドの中で力を抜いて、私は君のことをおもう。君の見ていた景色をおもう。君をその場所へ追いやった人のことをおもい、その人のことを憐れみ、そしてたいしたことないとうそぶいていた自分自身を憎む。
 そして最後に、君に脈動を聞かせてくれる人がいますようにと、祈る。君が、君のままこの世界に繋ぎ止められますようにと、祈る。心をとりあげられませんようにと、祈る。
 私には祈ることしかできない。


 百九十四日目、今日、学校で君のことについて聞かれた。
 暖房の効いていない薄暗い部屋に私を呼び出した先生は、君の名前を出した。私は口をつぐんで先生を見つめた。いつの間にか私の身長は伸び、そんなに顎を逸らさなくても先生の顔を見ることができるようになっている。そのことがなんだか苦しくて、私は息が吸えない。
 先生は言った。なにか、聞かなかったか。みんなが知らないようなことを、教えられたりしなかったか。
 君はものしりだから、と私は答えるにとどめた。君はたくさんのことを知っている。動物の種類もたくさん覚えているし、頭が痛くなる時は体の中でなにが起こっているかを説明してくれたりもする。数字の秘密についてもよく知っているし、漢字もその成り立ちもたくさん知ってる。車がなんで走るのか、どうして私は逆上がりができないのか、痛いとかゆいの違い、それに心がなにかだって知ってる。なんでも知ってます。
 先生は困ったように笑って、そうか、と言った。私の頭のなかに、君が毎日鳴らす電話の澄んだ音が聞こえる。空気の壊れる繊細な音を耳はとらえている。
 先生はため息をひとつついて、私から視線をそらした。大人は大事なことを言う時、一旦顔をそらすものだと私は知っている。それから、まるでそうするのが正しいみたいな顔をして、まっすぐにこちらを見るのだ。顔をそらしたら、負けだと思っているみたいに。視線をそらしたら、自分が間違っていたことを受け入れなきゃいけない、だから絶対に負けてはいけないという顔をして。
 仲が良かったらしいから、なにか吹き込まれたんじゃないかって心配してるんだけど、みんなにいえないようなことを聞いたりしなかったか。何かされたりとか。
 私の頭のなかで、水の毀れる音が響いている。私は言ってやりたかった。なにが言いたいんですか、と先生を詰ってやりたかった。言えないことってないんですか、どうしてはっきりと言わないんですか。キスしたのかって、聞きたいんでしょ。
 でも私の耳には君の鳴らす電話のベルが聞こえている。その音が私を引き止めている。私は首を傾げて暫く考えるふりをする。先生の目は私をじっと見ている。私もじっと先生の目を見る。その瞳の中は暗く、底知れぬ闇に満ちている。私はひっそりと怯える。もしかして君は、私も同じ所へ引きずり込もうとしているのだろうか。君はそんなことをしないと、どういうわけか私は言えなくなってしまっている。
 十分長い沈黙の後、先生は視線をそらし、ため息をひとつつく。本当は知っているくせに、先生は聞けないのだ。私たちはそれを知らないことになっているから、そのことばを口にすれば私に教えたことになってしまう。だから先生ははっきりと訊くことができない。私は黙っていればいいだけだ。私と君は、ただの友達で、無垢で十全な子どもはそれ以上の感情を持たないことになっている。正直で、大人をうやまい、悪いことは微塵も企んだりしないことになっている。
 変なこと聞いてごめんな、と小さな声で先生は言った。友達がいなくなっちゃったらつまんないよな、でももうすぐ帰ってくると思うから。また遊んでやってくれよ、な。
 電話が鳴った。君からだ。


 百九十五日目、電話がなった。君からだ。りん、りん、と断続的に悲鳴のような細い音が数回鳴って、それから部屋は静かになった。私はベッドから起き上がって、また電話がならないかと待った。胸騒ぎがしていた。
 百九十六日目、電話はならなかった。
 百九十七日目、電話はならなかった。
 百九十八日目、電話はまだ、なっていない。私は君をおもっている。


   了   


※引用:川島誠「電話が鳴っている」より

(2012.7.12)
(2013.1.15 加筆修正、最終稿)

僕の隣の悪魔

何か悪いことが起こってしまった時に、しっかりと反省できる人は少ないです。サイコパス、というわけの分からないものがいて、それは悪い存在だから仕方ない、という論理があれば誰もが飛びつきます。そうすれば自分が悪かったと思わなくて済むから。
しかし、そういう人間に惹かれてしまったのも自分なのです。社会的地位が高くて、見た目が良くて、雄弁で優しい、そういった表面的な魅力を人間的価値だと勘違いした自分の未熟さなのです。社会的地位も、見た目も、本質的な幸福とは関係がないと思い切れなかった自分の弱さなのです。

本当に大切なものは、月並みですがやはり心の美しさだと思います。それは簡単に分かるものではないし、そのことに満足できるようになるのも時間がかかります。だけど、結局はそこに行き着くのだという気がしています。
沢山の挫折の末に、行き着けるのだと思います。だから、つまらない男に騙されたと後悔することもないです。これも人生勉強のために必要な挫折で、逃げずにまっすぐ向き合えば必ず乗り越えられるものです。いい経験をした、もう同じ過ちは繰り返さないと思えればそれでいい。転んでみて初めて、その道が危ない道だと分かります。何度も転んでやっと、正しい道を知ることが出来ます。転んだことのない人は、危ない道を進み続ける。そして、知らぬ間にサイコパスと呼ばれるようになってしまうのではないでしょうか。
本人達はそんなこと夢にも思っていないでしょう。自分は善良で優しい人間だと信じきっている。

本当はそれが一番恐ろしいことなのだと思います。

なんという名文。

サイコパスについての文章をいくつか読んだけれども、どれも最終的には「あの人たちはおかしいから関わらない方がいい」に帰着するので、「もしかしたら自分もそうなのでは?」と感じる人間にとっては理解を放棄されている感が拭えなかった。しかしおそらく本当にサイコパスだったら、「その通りだ!あれは人間じゃない!だから何をしてもいいんだ!」と思ってしまって言動がエスカレートする。いや、おそらくではなく、本当に。


ここのところエネミースレのまとめばかり読んでいるけれど、読めば読むほど自分は死んだ方がいいんじゃないか、生きているだけで害悪なんじゃないかという思いが強くなる。だからといって別に死にはしないけれど、ただ淡々と未来はあきらめた方がいいんだろうなという思えてならない。
自分たちがどれほど異常でそれがいかに理解されないか(本質的な部分で)というのをまざまざと何例も何十例も何百例も突き付けられるともうぐうの音も出ない。あきらめるしかないのだ。排斥されていくしかないのだ。と。思う以外ない。それでも生きている。死にたくはないから。


僕は、うっぷんを晴らすためにあるいは溜飲を下げるために、エネミーだとかサイコパスだとかモラだとか毒だとか人格障害だとかそういう言葉を吐き出せる側の人間ではないのだ。そういう人にとってそれらの言葉は凶器だ。僕を傷つける凶器だ。でも僕は人間なのだ。傷つけられたら痛いし泣くし、自分自身が知らないうちに誰かを苦しめるのは怖いし辛いし、哀しい。自分が諸悪の根源であり、悪以外の何物でもなく、怪物だと言われ、あるいはその連鎖を断つことは無理だと断言され、生きていくために希望にすがりつこうにもその希望もあきらめざるを得ない。僕は病気だと診断されふさぎこんだ。異常性を理解し意気消沈した。異常だと弾劾され絶望した。そして繰り返し繰り返しその絶望を受け入れるためにその刃で自分を切り刻んでいる。どうせなら何も思わなくてよくなるように。なにも壊さなくて済むように。誰かの大切なものを無駄にせずに済むように。

(2010.3.11)
(2013.4.9 修正)

鳴る

 誰も余裕などないのだった。
 祝日はないものとしてスケジュールは動いている。その中の定例会議でデモンストレーションをしてくれと言われた時、僕は正直嫌だった。何しろ外注したWebUIはまだ出来が悪くて、僕の作ったモックとそう代わりはなかったからだ。ほとんどできていないといってもいい。ただでなくても素人が作ったとまるわかりなデザインをもってして、それをデモするなど僕は嫌だった。でも彼らはなにかこそこそと話をして、僕にやってくれといった。
 以前から言われていたことではある。それを何度も断ってきた。でも何度も何度も顧客との定例会議に出てくれと営業から言われる。進捗が芳しくないからだ。そしていつも付け加えるのだった。女の子がいるとあの人達もうるさく言わないからさ。
 僕は同期の女子の名を出して、あの人はどうなんですか。いつも行ってるじゃないですか。女の子ですよという。それにすごい、できるし。
 実際に彼女はとても有能な人で、今回の案件の開発以外の部分では主力となっている。いつも頭の中は綺麗に整理されていて、しかも勉強熱心で、優秀であるのは皆認めていることだ。
 でも、彼は曖昧な顔をして笑う。ぼくはそれを許容する空気を憎む。彼らが言外に示していることを察して憎む。この場にいない彼女の分まで彼らのことを呪う。彼らにとって彼女は女の子ではなく、僕は女の子であるという事実がたまらなく憎く、そして苦しい。
 予想通りの鈍い反応を受けながらデモンストレーションを終えたあと、僕はトイレの個室で瞼を押さえていた。仕事が詰まっているのは別にそれほど苦ではない。帰りが遅いのも、少しくらい休日に仕事をするのも、持ち帰りが発生するのも、それほど大したことではない。だけど、何かを憎むというのはそれらすべてをなげだしたくなる峻烈な色を呈し、そして心を疲弊させるのだった。僕はぶつぶつと呪いの言葉を吐いた。そうすることしかできなかった。


 キーボード買っちゃったんですよ、と僕は言った。なんだか疲れてきたし、ちょっとストレス発散でもしないといけないかなと思って。どんなキーボード?と先輩が聞き、僕は青軸の……と言いかける。先輩はもう笑っている。ちがうんですよ、すっごいいいんですよ、絶対一度使ってみたほうがいいと僕がムキになってことばをつづけると、先輩はいつものように呆れたように顔を歪めてボサボサの頭をかくのだ。そして言う。キーボードかってストレス発散になるってのがもうなんかおかしいよな、男らしい。僕はちょっと笑って、あとでまたトイレで泣いてこようと思う。

 雨、だった。
 いつの間に降りだしたのだろうか。ふと窓から外を見ると、白い線が空気を粉々に砕いていた。はじめ、僕はそれが雨だとは思わなかった。図書館の中はひっそりとした静けさに満ちており、しかも僕は耳の中にイヤホンを押し込んでいたから、音が聞こえなかったのだ。やがて僕はコンクリートの縁から垂れるしずくに気づき、ようやく篠突くような雨が降っているのだとわかった。
 桜の木から滑り落ちる雨は表面を流れ落ちるより飛び降りたほうが早いと心得ているのか、途中から滝のように流れ落ちている。エントランスの雨除けの下には出かけようとした人々が足を止め、困惑した顔で空を仰いでいる。
 少年が一人、走っている。突然の雨から逃げ遅れたのだろう。白く烟るアスファルトの上を走ってくる彼はすっかりずぶ濡れになっているが、妙に表情は楽しそうだ。安っぽい青みがかった白いシャツが濡れたせいでぺたりと肌に張り付き、少年の尖った背骨がその下から突き出しているのが見える。しなやかな体はすぐに雨除けの下にたどり着き、僕の視界からは消えた。
 腕の中にある二冊の本を抱え直して、僕は窓にそっと近づいた。窓際には背の低い本棚があり、ぎっしりと文庫本が詰まり、にぎやかだった。
 雨は垂直に落ちているらしい。全くの無風の中、ただ雲が雨をこぼしているだけなのだ。夕立というのはまだ少し時間が早いが、盛夏であればこんな驟雨がやってくることも珍しくはない。問題は、どうやって家に帰るか、だ。

(2012.8.4)
(2012.12.29加筆修正)

白夜の異国街

 2004年の夏、僕はフランスのパリにいた。パリの16区に宿を取り、毎日バスで出かけた。暑い夏だったがそれでも風は乾燥していて、日陰に入ると驚くほど寒かった。それがパリの夏だった。道を行く人は東京のように早足で、色鮮やかなかばんが日本に比べてかなり安価な値段でショーウィンドウに並べられていた。
 いつも乗るバス停のそばにゴディバの小さなお店があって、老婆が沈んだ暗い店内の中に鎮座していた。日本にあるおしゃれな雰囲気のそれではなく、小さなさえないチョコレート屋だ。僕は時々そこに入って、せす、あん、せす、とわ、とかたことでしゃべった。老婆は東洋人だと見ると最初は少しいやそうな顔をしたが、だんだん慣れてきて、僕が店に入るといそいそと立ち上がって迎えてくれるようになった。老婆は英語ができなかった。僕はフランス語がほとんどしゃべれなかった。
 じっと気になるチョコレートを見つめていると、彼女はフランス語でなにかぼそぼそと言う。首を振っていたらやめてたほうがいい、ということらしい。これを食べるなんて正気の沙汰じゃないとでも言っていたのかもしれない。うなずくときは大体おいしいもののことが多い。いつもしかめっ面で不機嫌そうな顔をしていたが、中身はそれなりに親切な人だったのだろうか。彫りの深い白人特有のあの表情を僕は解することができない。

 宿の主人も英語はしゃべれなかった。ひどいフランス語なまりの英語で、僕にもわかるような単語で、英語はほとんど話せませんと彼は言った。
 僕はパリジャンなんです。ばりじゃん? ぱりじゃん。ばり? ちがう、バリじゃないパリ。ばひじゃん? ぱりじゃん!
 何度か同じ言葉を繰り返してパリにずっと住んでいるということを意味したいのだとわかったとき宿主と僕はなぜだか大笑いをした。フランス語はほとんどわからない上に英語ですらもおぼつかない僕と、日本語が全く分からず英語は定かでない彼が話すにはジェスチャーと表情が不可欠だった。彼はいつも朝、たっぷりとクロワッサンを振舞ってくれた。コーヒーが苦手な僕に温かいミルクティをゆっくりと入れてくれるのだった。中庭に面した部屋は薄暗く、クーラーがついていないために暑かったがひどく静かで、僕はしばしば窓を開けて暮れてゆく白夜の空を見上げながら、スーパーで買ってきたりんごをかじっていた。

 そういえば宿の前には果物屋があった。果物屋の親父は日本びいきのようで、僕が行くと日本人かとつたない英語で尋ねた。やはりひどいフランス語なまりだった。僕がうぃとこたえると本当にうれしそうに、にほんのくだものがあるとフランス語で言った。はっきりとわかったわけではないけれど、その指の先にあるしなびた温州みかん(そういえば品物はほとんど萎びているように見えた)をみて僕はその言葉の意味を理解した。僕はおもわずわぁと声を上げて笑った。親父は太った体を満足そうに揺らした。僕はその店でマスカットとつめたい水を買った。ペットボトルに貼り付けてある値段シールはなぜか同じ商品でも値段がまちまちで、不思議だった。

 宿のとおりの角のパン屋には英語が少し話せる店員がいた。そのパン屋は申し訳なさ程度に道にテーブルといすをならべて、お茶を飲めるようにしていた。僕がケーキを眺めていると、彼女はここで食べてゆくのかと聞いた。彼女もまた日本びいきだった。
 あなた子供でしょ?違います。大人です。本当に?嘘よ。ちゃんとお金持ってる?あいはぶまにー!
 彼女は笑った。ケーキにちょっとだけ生クリームのおまけをつけて出してくれたから、僕はめるしーといった。カフェとエスプレッソとテがあるけどどれがいいかと言われ、僕はテとこたえた。
 おれ?おしとろん?
 おれ。
 彼女はにっこりと笑った。僕もにっこりと笑った。日陰のカフェは少しだけ寒かった。僕は両手を紅茶のカップであたためながらゆっくりとケーキを食べ、その店でフランスパンを買い、スーパーで野菜をかって、宿に戻った。
 白夜のパリはいつまでも明るかった。

(2010.7)
(2012.12加筆修正)