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鴨川の抱く夕暮れ

 みてみて!これすっげーおもしろくね?といいながら布団を蹴飛ばす僕に、彼女は呆れたように笑った。そしてなにとはなくしみじみと、君は本当にかわいいなぁ、そういう良さが分かってくれるひとが現れるといいね、と言った。
 その頃失恋したばかりだった僕は少し笑って、その言葉に何も返さなかった。ほどなくして疲れていた彼女は眠りに落ちて、僕は夕暮れ時の静かな一時をぼんやりと過ごした。
 僕たちはお金のない学生だった。夜行バスでやってきた京都はひどく暑く、体力のない彼女はすぐに根を上げた。お金がないなりに途中で冷たいものを食べたり、甘味をとったり、川のそばで涼をとったりしてはいても彼女の体力は照りつける太陽のようにじりじりと焦げ付き、クーラーのきいた部屋の中にしばらく入ると眠りに落ちてしまうだろうと、僕は思っていた。彼女が眠り込んでしまう前に夕食は少しだけぜいたくしようね、と約束をして、僕は携帯で知らない土地のぐるなびを見ていた。いくつか見ていくうちに自分の食べたいものに突き当り、そこから類似の店をいくつかピックアップする。少し雰囲気が良くて、でも高くなくて、小食で偏食な彼女も、おなかがすいた僕も満足できるような、そんな店を探すのはなかなか骨が折れた。
 二時間ほどして目が覚めた彼女は、今何時?と寝ぼけた声で聞いた。僕が答えると、一気に目が覚めたのか瞠目して嘘!と叫んだ。よく寝てたねーという僕に申し訳なさそうな、恥ずかしそうな顔をする彼女が僕は好きだ。


 僕は彼女以上に好きになれる人は、たとえ異性でも二度と出会えないだろうと思っている。彼女が結婚し子供を生み、家庭を持ってもなお、僕は彼女のことが好きだ。僕はヘテロだし、彼女に性欲を抱いたりはしないけれども、性欲を抱かないからといって彼女への気持ちが劣るものだとは思っていない。
 でも、彼女にとっては僕は特に仲のいい友人であることに変わりはないけれど、でもそれ以上ではないのだった。彼女にとって僕は、唯一無の一ではないのだった。友人たちはみな、僕たちが特に仲が良いことを知っていて、しかも僕が片思いであることも知っている。僕にとってその思いを言葉にできないほど彼女は大切な人なのに、彼女にとって僕はいつでも交換がきく人間なのだということは、皆が認めるところだ。


 夜風に吹かれてたどりついた店は予想通りなかなか良い店だった。残念ながら川辺の席は取れなかったが、それでも十分にぼくらはぼくらなりのぜいたくをして、お酒を少し飲んで、最後にお茶漬けを食べて、いつもより豪勢な夕食を終えた。帰り道に寄ったコンビニで彼女は梅酒を手に取って、飲みきれないかもと言ったから、余ったら飲むよ、と僕は答えた。彼女はなにを言うでもなく笑う。
 飲めないのにお酒好きだよねぇ、ほんとと僕が呆れて言うと、彼女はうん、と無邪気にうなずいた。なんだか飲みたくなるんだ、お酒飲んでると楽しいから。チューハイを一口か二口のんだだけで記憶をなくす彼女を介抱しなければならない立場の僕は、まったくもう、と言ったけれど、彼女はただ笑うだけだった。君も、と彼女は言う。


 君も、お酒飲んでいろいろ忘れられたら、もっと楽に生きていけるのかな。
 僕はどうだろう、と言う。お酒を飲んでいろんなことを忘れたり、理性を飛ばして騒いだり、そういうことができる僕だったら、こうやって二人で京都に来ることもないんじゃないかな。彼女は朗らかに笑って、確かに! と声を高くした。少し酔ってるようだぞ、と訝った僕のことは気付かずにふらふらと彼女は菓子を物色し始める。僕はドライフルーツを手にとってしげしげと眺める。
 さっきの、と彼女はいつもの口調で言った。さっきの布団蹴ってた時の顔、ほんと子供みたいでかわいかったよ。
 なにいってんの、もう、という僕に彼女は笑ってみせる。その顔の方がよっぽど子供のように邪気がなくて僕はまた彼女を憎めなくなる。