発電機関はデンキウナギの夢をみるか

 西暦0x2011年、夏。
 未曾有の災害と共に発生した、史上最悪と言われる原子力発電所事故により、関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所で電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わり、オワコンだ、と誰もが思っていた。
 E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。
 飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。
 彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDPは10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい。
「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」
「国民は死ねってのかよ! おい! Kを退陣させろ!」
 Eは汗を拭った。マスコミの記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いまや政府は転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには、驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「宇宙の本質はゆらぎ、地面も放射線値も揺らぐのがあたりまえ、我々の存在さえも観測するまでは生きているか死んでいるかわからない」などという迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。
 記者が静まるのを待って、Eは原稿を再び読み上げ始めた。
「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日正午より、首都圏の主要駅を中心に新方式発電装置の稼働を開始いたします……」


 後に有名になる首都圏全域床発電所誕生の瞬間であった。


 手始めに政府はラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。
 これはひとつの天啓だった。
 人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。極めてクリーンな発電方法であることは疑うべくもなかった。
 はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置が首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10万キロワットの発電を可能にしたのである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。
 この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。突っ込んで突っ込んで、突っ込みまくった。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは導電性の繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が、押されたり押し返したり(要するに通勤ラッシュである)すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったというのはまさに画期的だった。


 この発電方式が予想以上の供給を可能にしたことを受け、すべての原発は停止した。原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。
 人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュの電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。
 だから電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置(彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった)からそう日をおかず、一日に割り当てられた発電量を供給できないと罰金が課すという法律――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法が満場一致で可決された。国の財政と電力供給量は飛躍的に改善した。
 一方、国民は疲弊した。疲弊する一方だった。


 あれから二年――


 電力供給量改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、不幸にも幸いなことにK政権は鳥人間も真っ青の低空飛行を続けていた。その間に政治家が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者に向かって「なぜこの世でなければならないんですか?あの世ではだめなんですか?」などと発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが、概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。
 それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。
「自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」
 女が額に汗を浮かべ、無表情に限りなく近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。
 Eは汗を拭った。
 日本経済は回復している、していたはずだった。だが、三十年しか持たないと三十年前から言われている石油がついに三十年後に枯渇するという研究結果が発表され、しかも史上最強の円高が日本を襲ったことによって一時期の回復傾向は再び減退していた。人々は火力発電所もすてさろうと言った。圧電発電装置の運用がうまく行っているのだ。なぜできないといえるのか、と。その上低周波騒音を出す風力発電や、山間の村を沈める水力発電に比べて圧倒的にクリーンな電力なのである。なにかにとり憑かれたように人々は快哉を叫んだ。革命が起きるのではないかとEは思ったが、人気取りが三度の飯の次に好きなKが民意を見逃すわけがなかった。かくして革命は回避された。
 この一年、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。「大丈夫だと思います」「冷静に対処していきたいと思います」「直ちに影響はありません」
 俺だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだって、キーボードの打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから。
 会見は相変わら寒々しく終わった。比喩でもなんでもなく、痩せこけた人々から発生するエネルギーは以前に比べると非常に少なかったからである。


 新しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい電力不足のパネル。
 Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。
 くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。
 Eはあたりを見回した。停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが、議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだから。プラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。
 Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って(コール五回分の振動で約一分間話すことができる)電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。
「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか」
 ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい。
「いえ、私の方にも報告は――」
「どういう事なんだ!」
「T社に問い合わせてください……」
「なんだと! 俺を誰だと――!」
 思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。
「それがあなたの仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ!」
 怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した。携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。もうどうにでもなれ、と彼は思った。誰かが動くのをやめたのだ。Eだってボイコットだ。ストライキしてやる。クソが生み出す電力なんてクソ食らえだ。大して面白くもなかったが彼は笑った。笑いながら彼は吸い込まれるように眠りに落ちていった。


 眠ってしまったはずだった。Eは頬をつねったが、痛くなかった。夢の中だと確信して、彼はあたりを見回した。どうにも何かがおかしかった。違和感の原因はすぐに分かった。彼は眠る前と同じように発電パネルを踏んでいたのだ。
 思わず喚いた彼のもとに黒い影が飛んでくる。なにも考えずにEはその影の胸ぐらを掴み上げ、これはどういうことだと怒鳴った。夢の中なのになぜ発電せねばならないのだ。どう考えてもおかしいではないか。夢は安楽の装置である。なにものをもその安楽を妨げることはできはしまい。だがEの指先をするりと逃れた影(どうみてもウナギ)はぴかぴかと額を光らせて言った。
「x月x日0時より一部地域にて寝たまま発電できるまったくあたらしい布団、ハツデンキカンβ版テストを行なっております。バージョン1.0では、心拍および体動による発電を実現し、まったく新しい睡眠をご提供いたします」
「ハツデンキカン……?」
 はて、と頭をひねったEの脳裏にちらりと記憶が蘇った。そうだった。そんな話があった。揉み手をしながらいまや零細企業となったT社の営業がそんな話をしに来たのだった。なんでもN社と共同開発をしたとかそういう話だったが、疲れ切っていたEはあとで資料を読むと違って彼を帰してしまったのだ。彼は帰り際に言っていた。まずは議員宿舎から入れ替えさせて頂きます、許可はとっております、なにしろ民意ですからと慇懃無礼な調子で――
 ぴかりとまたウナギは頭を光らせて、尾びれを振った。ウナギが動くたびに掌をするりと抜けそうになり、慌ててEはもう片方の手でウナギを掴んだ。勢い込んだせいか思わず足踏みをするとぱたぱたと馬鹿にしたような音を立てて電力パネルの数値が変化した。ウナギは再び満足そうにしっぽを振って機械音に近い声でよどみなく口上を述べてみせた。
「また新方式シータ波自動励起によるレム睡眠の制御(特許出願中)を行い、お客様の発電パフォーマンスの向上をはかっております。ご不明な点がございましたら、T社サポートセンターまでご連絡くださいませ――」


※この話はひくしょんです。実在の人物、団体、企業、国家、惑星、創作物、デバイス、特許および個人の心情とは全く関係がありません。

(2011.3)
(2012.3加筆修正)