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頑張ることはたやすい

 頑張ることはたやすい、と昔書いたような気がする。
 頑張ることはたやすい。一生懸命であることは労力を必要としない。諦めないことは造作もない。ただ何もかも忘れればいいだけだからである。それよりも、自分自身のリソースを把握し、正気を維持するために生活を制御をすることは、なにかにただひたすら打ち込むことよりもエネルギーを必要とするのだ。それも精神的なエネルギーを。だから放っておくと人間は好きなことに打ち込んでしまう。そういう生き物なのだろうと思う。


 寝食を忘れて、物事に打ち込むということがある。限界を超えて、新たな境地にたどり着く最短で確実な方法は、ただ一つのことだけに打ち込み、他のあらゆることを忘れ去りおざなりにすることである。限界を超えんとする行為自体が非常に危険な賭けであることすらも忘れてしまうことである。かくして体もしくは心あるいは両方が摩耗し、乗り越えられなかったものはどちらも失ってしまう。
 心が死ぬと、すべての出来事は義務になる。すべての仕事は惰性になる。そう思わないと体が動けなくなるから、そう思い込んでしまうのだ。心が死んでいる人は目的を忘れている。挑戦には目的があったはずなのに、それを失い義務で動くようになる。目的を意識するのは精神的なエネルギーが必要だからだ。できるだけ何も考えず、何も感じず、ただ目の前にあることをこなせるように心は死に、人はそれに従うようになる。それでも体に余裕があれば人は死なない。体に余裕がなくなれば人は死ぬ。とても簡単に死ぬ。死んだこともわからないほどあっさりと、境界線を踏み越えてしまう。
 挑戦をするためには心と体に余裕が必要なのだ。体に余裕がないなら心に、心に余裕がないなら体に。そうしなければ人は死ぬ。その両者は対をなし人が死なないように適度な制御をしている。そのどちらも失ったら人は死ぬしかない。
 僕たちは折に触れ、頑張らないことを選択せねばならない。歯を食いしばってそれを選択せねばならない。頑張ることはたやすい。なぜならばそれは正義に守られたおおいなる惰性だからだ。

(2011.1.29)
(2012.6 加筆修正)