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いちごタルトのレシピ教えろください

四年ぶりに恋人ができた。

すっかりお一人様にもなれて、ひとりであちこち行くのも苦にならなかった。そんな生活に一人が加わっただけだと思っていた。僕たちは独立した個人で、手を繋がなくても歩いていくことはできるが、あえてつなぐことで関係性を意識しているのだと思っていた。ふたりともほとんど三十歳だ。十代のような恋はしないし、きっとできない。


数日前、会社で少し嫌なことがあった。慣れていることだ。小さな、人間関係の摩擦。でも時々心が疲弊していることに気づくことがある。一人でいるときなら気づいていないふりをして、美味しいものを食べたり、ゆっくりと空を眺めていたりした。そうすれば心は癒えると思っていたし、実際うまくやれていたのだ。


でも僕は君にそれを話した。なぜだか話したくなった。恋人に少し甘えたい気持ちはあったが、軽い愚痴のつもりで口にした。だというのに、相槌と憤慨してくれる君の声が耳を刺激して、舌が思ったより動いた。君は怒った。そんな理不尽な扱いを受けるなんておかしいけど、バカなやつはどこにでもいる。流して気にしないのが一番だ。でも腹が立つね。


それは僕がいつも一人で自分にいいきかせている言葉だった。僕はちょっと笑って、それからちょっと泣いた。


恋人という関係になるというのは僕の心の一部を預けるという行為にほかならないのだった。僕もまた心の一部を預かり、僕の中で君の心が揺れるたびにかすれたかすかな音を立てる。君が僕に向かって投げかける言葉の中で僕の心が揺れている。君の言葉の中に含まれる怒りかあるいは共感は、僕の心だったのかもしれない。僕が君に話そうと思ったのは、君の心がそう思ったからだったのかもしれない。


美味しいもの食べて忘れようと僕は言う。何か週末に作ろうと思ってるんだ。せっかくだから苺がたくさん乗ってる大きなタルト(いちごのタルトは君の好物だ。店に行ってもどれだけいちごのタルトが素晴らしいか朗々と、しかも理路整然と説明するくらい、大好きだ)作るよ。お店でも食べれないやつだよ。一人で全部食べちゃだめだからね。そして僕は笑ってありがとう、と付け加える。

(2013.1.13)
(2017.4.2 加筆修正)