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砂漠を行く

海外赴任が決まった時のことだった。 その国での海外赴任は自分が初めてで、しかも女子社員の海外赴任は社内初だった。でも赴任先はEU圏の裕福な国で、治安は東京とあまり変わらない。くわえて若い頃から個人でヨーロッパを旅し、個人でアパートを借りて長期…

僕の隣の悪魔

何か悪いことが起こってしまった時に、しっかりと反省できる人は少ないです。サイコパス、というわけの分からないものがいて、それは悪い存在だから仕方ない、という論理があれば誰もが飛びつきます。そうすれば自分が悪かったと思わなくて済むから。 しかし…

雨、だった。 いつの間に降りだしたのだろうか。ふと窓から外を見ると、白い線が空気を粉々に砕いていた。はじめ、僕はそれが雨だとは思わなかった。図書館の中はひっそりとした静けさに満ちており、しかも僕は耳の中にイヤホンを押し込んでいたから、音が聞…

白夜の異国街

2004年の夏、僕はフランスのパリにいた。パリの16区に宿を取り、毎日バスで出かけた。暑い夏だったがそれでも風は乾燥していて、日陰に入ると驚くほど寒かった。それがパリの夏だった。道を行く人は東京のように早足で、色鮮やかなかばんが日本に比べてかな…

女らしさというたくましさ

僕はまだ十代だった。彼女は僕を見てにっこりと笑った。あら珍しい。女の子が来た。そう言って、男の子と変わらない格好をして無造作に髪の毛を束ねているだけの僕に向かって、彼女は他の誰とも違う笑顔を向けた。僕はきまりが悪くて笑顔を作った。 彼女は若…

夕焼けアイス

目をぐるりと動かして「テンナイデオメシアガリデスカ?」と彼女は言った。言っている途中で一回舌をかんで少し恥ずかしそうにする。僕は微笑を返して、バイトを始めたばかりの高校生なのかな、と思っている。よく日にやけているのは体育会系の部活にでも入…

どこの誰でもない誰かになれない

僕と彼女は和風カフェに入ってわらびもちを食べていた。 大量の黄粉と黒蜜の混ぜ合わさったそれはまるで溶けたチョコレートのようで、僕らは笑った。僕はカメラで笑う彼女をとり、彼女はわざと目を剥いて僕を威嚇した。それからまた二人で笑った。 久しぶり…

彼の中には他者がいない

彼は分からないと言われると、背景を丁寧に説明しようとする。僕はたいてい背景は分かってるけど理由かやり方が分からないか、もしくはそれが最適であるかどうかが疑問だと思っているので、彼が説明し始めるとどうやってわからないところを伝えればいいのか…

うさぎは孤独を知らない

孤独を抱えて眠りにつく。孤独は冷たく滑らかだ。僕がうさぎのぬいぐるみのおなかだか耳だか足だか顔だかがよくわからなくなったころ、眠りは僕の隣で落ち着く。 孤独はぬいぐるみの中までは浸食しない。ぬいぐるみは孤独ではないからだ。 でもかといってほ…

絶望という名の光

昔はまさに恋愛で救済されると思っていた私は、実際にその相手を得たとき「この人は自分のことを好きだと言うくらいなのだから私を無限に承認し受容してくれるはずだ」と信じてはばからなかった。結果、相手がその自分の思い込みに沿った行動を取らないと「…

本という逃避

(略) 不登校になることで逃げられるならはそれ以上の幸福はない。親が不登校になることを理解して、受け入れることができて、それでもなおかつその子に対してあなたは悪くない、といえるのならそれは幸せなことだ。 でも現実的にはそんな親はおそらく少な…

頑張ることはたやすい

頑張ることはたやすい、と昔書いたような気がする。 頑張ることはたやすい。一生懸命であることは労力を必要としない。諦めないことは造作もない。ただ何もかも忘れればいいだけだからである。それよりも、自分自身のリソースを把握し、正気を維持するために…

まずはじめに、息を吸う

すべてを諦めるところから始める。すべてを求めないことからはじめる。全てに嫌われていると思うところから、始める。全てに拒否されていると考える。なにも理解できないと知る。すべての失望と絶望と、諦観の中から始まる。なにも持たない、なにも与えられ…

鴨川の抱く夕暮れ

みてみて!これすっげーおもしろくね?といいながら布団を蹴飛ばす僕に、彼女は呆れたように笑った。そしてなにとはなくしみじみと、君は本当にかわいいなぁ、そういう良さが分かってくれるひとが現れるといいね、と言った。 その頃失恋したばかりだった僕は…

忘却という防御

忘却がいつから始まったのか、今となってははっきりしない。昨日と同じ失敗をしたらしくひどい罵声を浴びせられながら、父は背中を丸めて大根を切っている。今年に入ってから老けた。みるたびに皺は濃くなっていく。張りつめる空気の間を泳いで庭に下りる。 …

鋭光

手を伸ばしかけたところで記憶がよみがえる。対面した相手のさらに後ろで記憶のあなたが手を振る。僕はぎょっとして立ち止まり、それから立ち尽くす。あの記憶のかけらは散り散りに砕け散ってしまったからどこに残っているのか、未だに僕は予期できない。割…

郷愁にて

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。 育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば、東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所だが、それでも私にとっては十分すぎるほどの田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければなら…

帰途

駅に降り立つとむわっとした不愉快な空気に迎えられる。会社がある場所より二度か三度気温が高く、じっとしていても汗がじんわりとにじみだしてくるような湿気を伴った濃密な空気、そして潮の香。海から遠くないこのまちは、夜になると潮の香がきつくなるが…