はじめに

概要

このブログは過去に斧田小夜、もしくはその他の名義、匿名で公開した文章を掲載しています。随時加筆修正などを行なっているので、掲載当時と同じ文章ではありません。

主に下記に掲載したものを気が向いた時に公開しています。

注意

公開中の記事本文の著作権は放棄しておりません。引用する際はリンクを必ず貼ってください。

お問い合わせ・ご要望・お仕事のご依頼等ございましたらwonoda.sayo[at]gmail.comまでご連絡ください。

ほんとうは

 あぁ、そういえば斧田、あれどうなったの? 通ったって言ってたやつ、と彼女は彼女の話をすべて終えてからついでのように言った。
 僕は電話は好きではない。だから電話をかけてくるのはいつも彼女で、だいたい彼女の話だけで終わる。僕はそれでいいと思っている。話をしたいからかけてきているのだ。それで僕のほうが話していたとしたら、何かがおかしい。
 他愛のない報告、友人の近況、何度か聞いた仕事の話と軽い愚痴と、自虐。もう三十になるんだねぇ、と彼女は言う。僕はまだ二十九になったばっかりでしょと笑う。それに三十になったってなんにも変わんないよ。十の位を切り上げたら百なんだから。
 彼女は笑った。電話の向こうの笑い声を僕はあまり認識できない。
 いつまでも夢を追ってるわけには行かないよねぇ。お金にならないと、と笑い声の終わりあたりで彼女は付け加える。声は少しかすれていて、疲れが含まれている。でもそんな声を出したって、彼女はたぶん電話を切ればすっきりとしてまた明日へ向かって歩き出すだろう。僕はそうとよく知っているのだった。だから相槌をうたなかった。たとえお金がなくても無職でも、仕事が嫌になれば彼女はやめる。やりたくないことからは逃げるし、あまり自分を殺すことはない。そうやって二十代を乗り越えた彼女はきっとこれからもそうするだろう。
 沈黙を埋めるように彼女はまた誰かの話をしている。僕は紙にぐるぐると丸をかいている。不器用な丸がいくつも連なっていて、さくらの花びらのようだ。そう思ったところで彼女の声が飛び込んできて、僕は我に返った。
 あれ、どうなったの? 僕は一呼吸おいて、だめだったと努めて軽く言った。最終までは残んなかった。まぁわかってたことだよ。一つ進んだだけでも収穫だし、自分の悪いところもわかってる。地道に続けるよ。生活はできてるから。
 でも、その言葉が建前であることくらい、僕はなによりもわかっているのだった。
 僕は、決して平坦な道を歩いてきたわけではなかった。幾度も挫折して、時には方向を変え、目標を変え、走ってきたのが僕だ。そんな僕でも、だめだと直戴にいわれるのは存外に堪える。繰り返される駄目出しに精神は削られていく。時にざっくりと、時にうっすらと、心は抉り取られていくのだった。
 へぇ、そうなんだ。まぁがんばってね、と彼女は心のこもっていない相槌を打った。僕はすこしわらって、うんとだけ答える。うん、がんばる。じゃぁね、おやすみ、と君のあくび混じりの声が聞こえて、僕はまた笑う。薄情な友人、自分の話したいことを話すだけ。もうだめだと言いながら、いつも甘えられる腕を確保している。最後には頼るべき相手がいる。僕はそう知っている。この電話を切った後だって彼女はきっと誰かにもたれかかるだろう。その腕はきっとあたたかく君を包むだろう。
 僕には生活を維持する術が備わっている。でも、彼女のように甘える腕を確保する術はもたない。削り取られていく精神を埋めてくれるものを、僕はどうしても得ることができない。みんなどうしてあんなに簡単に、少し悩んで、少し苦しんで、軽々と獲得していくことができるのだろうと、僕はいつも思う。それとも、彼らも本当は水面下でもがいているのだろうか。水鳥のように、必死で足を動かしているのだろうか。あるいはそれは、普通に育てばいつの間にか身につける類の技術なのだろうか。例えば微笑みのような、例えば熱っぽい視線のような。
 ほんとうは。
 本当は、いっぱい泣いた。最初は泣けなくて、しばらくしてから声を上げて泣いた。本当だよ。悔しくないわけないでしょう。
 言いかけた言葉をすんでのところで舌先で歯の奥に押しやって、僕はしかたなくおやすみ、と言った。
(2013.02.12)
(2018.05.17 一部修正)

砂漠を行く

海外赴任が決まった時のことだった。
その国での海外赴任は自分が初めてで、しかも女子社員の海外赴任は社内初だった。でも赴任先はEU圏の裕福な国で、治安は東京とあまり変わらない。くわえて若い頃から個人でヨーロッパを旅し、個人でアパートを借りて長期滞在をする程度にはヨーロッパが好きな自分は特に不安を感じていなかった。もちろん、十分に警戒心を持った上で生活をすべきだしその対策はしなければならないが、必要十分はだいたい理解している。
ところが、会社はそう思わなかったらしかった。直属の上司には全く心配されなかったものの、関係ない部署からあれこれと横槍が飛んで来る。


ガイドブック片手に地図を見ながら歩いているといいカモだと思われるのは周知の事実だが、だから一人で外出をするなと彼らはいう。一人で行動するのは危ないから、滞在先はホームステイのほうがいい、ホストファミリーにいつも同行してもらいなさい。一人暮らし? 危険すぎる。公共機関はテロの危険があるから絶対つかっちゃだめ。車? 免許持ってたってあなたは女性だし、舐められるかも。事故を起こしても行けないし。自転車なんてもってのほか、移動するならタクシーを使いなさい。あと誰か必ず男性を連れていた方がいい、危険だから。
まるで分別のつかない三歳児に対するように彼らはそう言うのだった。そのくせ会社のスマートフォンは貸し出せないという。インターネットを使いすぎるかもしれないからダメだ、と。今時、情報はたいていネット経由で手に入る――さらにいえばネットでなければ手に入らない情報もあるというのに、彼らは今時の旅行の仕方もしらずにそんなことを言うのだ。地図も電話もアプリも時刻表も路線図もレストラン情報もそれだけあればことたりて、しかもガイドブックをみてもたもたしているよりずっと危険が少ないのに、彼らはそれをはなから理解しようとはしないのだった。現地のSIMをモバイルWi-fiルータに突っ込めば安くで使えるのに、調べることすらしないのだった。そして過剰に自由を制限しようとする。女だから、だめだという。


一つも言うことなんか聞いてやるものかとムカムカしつつ、飛行機に乗った。そして機内で「少女は自転車に乗って」という映画を見た。
知らない人のためにあらすじを簡単に書くと、この映画はサウジアラビアの映画である。主人公は十歳の少女ワジダ。サウジアラビアイスラム系の国の中でも特に戒律が厳しく、女性は家の外では目以外を露出してはいけないし、職場に行くには乗り合いタクシーを利用しなければならないし、自転車に乗るのもNG。自転車の欲しいワジダはさまざまに手をつくすが、そもそも戒律に引っかかっているし、教師にも親にも怒られるし…という話。ネタバレはしない。
イスラム法では女性が保護されるべき弱い存在なので、自由意志を持っていてはいけないのだそうだ。大変に魅力的なのでそれを隠さねばならないそうだ。
イスラムの女性がみな、そのことを窮屈に思っているわけではない。庇護という名の束縛を愛情だと思っている人もいる。けれども、庇護よりも自由を求める人だっている。だって人間なんだから、自分の足があって、歩いていけるんだから、なのにどうして、誰かに連れて行ってもらえるのを待たなきゃいけないの。


出国するまで耳にタコができるほど言われた「女性だから」という言葉を思う。彼らはそれを心の底から親切のつもりで言っている。自分は正しいことを行っていると信じている。そしてたぶん同じ口で、イスラムは前時代的だ、女性の権利を侵害しているなんてことも言うんだろう。日本はやっぱり自由でいいよなぁ、あっはっは。そんな風にのんきに笑えるほど、私達は彼らと遠くはなれているわけではないのに。

(2014.11.15)
(2017.4.19 加筆修正)

いちごタルトのレシピ教えろください

四年ぶりに恋人ができた。

すっかりお一人様にもなれて、ひとりであちこち行くのも苦にならなかった。そんな生活に一人が加わっただけだと思っていた。僕たちは独立した個人で、手を繋がなくても歩いていくことはできるが、あえてつなぐことで関係性を意識しているのだと思っていた。ふたりともほとんど三十歳だ。十代のような恋はしないし、きっとできない。


数日前、会社で少し嫌なことがあった。慣れていることだ。小さな、人間関係の摩擦。でも時々心が疲弊していることに気づくことがある。一人でいるときなら気づいていないふりをして、美味しいものを食べたり、ゆっくりと空を眺めていたりした。そうすれば心は癒えると思っていたし、実際うまくやれていたのだ。


でも僕は君にそれを話した。なぜだか話したくなった。恋人に少し甘えたい気持ちはあったが、軽い愚痴のつもりで口にした。だというのに、相槌と憤慨してくれる君の声が耳を刺激して、舌が思ったより動いた。君は怒った。そんな理不尽な扱いを受けるなんておかしいけど、バカなやつはどこにでもいる。流して気にしないのが一番だ。でも腹が立つね。


それは僕がいつも一人で自分にいいきかせている言葉だった。僕はちょっと笑って、それからちょっと泣いた。


恋人という関係になるというのは僕の心の一部を預けるという行為にほかならないのだった。僕もまた心の一部を預かり、僕の中で君の心が揺れるたびにかすれたかすかな音を立てる。君が僕に向かって投げかける言葉の中で僕の心が揺れている。君の言葉の中に含まれる怒りかあるいは共感は、僕の心だったのかもしれない。僕が君に話そうと思ったのは、君の心がそう思ったからだったのかもしれない。


美味しいもの食べて忘れようと僕は言う。何か週末に作ろうと思ってるんだ。せっかくだから苺がたくさん乗ってる大きなタルト(いちごのタルトは君の好物だ。店に行ってもどれだけいちごのタルトが素晴らしいか朗々と、しかも理路整然と説明するくらい、大好きだ)作るよ。お店でも食べれないやつだよ。一人で全部食べちゃだめだからね。そして僕は笑ってありがとう、と付け加える。

(2013.1.13)
(2017.4.2 加筆修正)