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本という逃避

(略)
 不登校になることで逃げられるならはそれ以上の幸福はない。親が不登校になることを理解して、受け入れることができて、それでもなおかつその子に対してあなたは悪くない、といえるのならそれは幸せなことだ。
 でも現実的にはそんな親はおそらく少ない。学校にいっていれば問題ないと考える親は多いだろう。勉強してさえいればいいと思ってしまうのだ。面倒事はないほうがいい。私は子供いないし、そのことについて責める気はない。私も行けっていうかも知んないし気づかないかもしれないし。
 でも、そういうとき「学校に行かない」という選択肢は選べない。でも現実に学校に行くといじめられる、その場にいくと傷つけられる、そういうことがわかっている。そういうときにどうするか。どうやって逃げ出すか。
 まず一つ目。なにか別のコミュニティに属す。習い事とか塾とかなんでもいいけど、そこではそこでの友達がいたり信頼できる大人がいたりとかして、それで救われるかもしれない。「いうやつが馬鹿なんだよ、あなたは悪くない」といってくれる人がいるかもしれない。できれば現実世界の関係がいいとは思う。言葉がなくても伝わるものがあるような関係がいいと思う。「学校」というコミュニティとは別のコミュニティを探す。それがひとつの手。
 でもそれが見つけられなかったらどうするか。特に小学生の小さいうちは家と学校くらいしかいくところはない。お金もない。塾にもあまり通わない(通う子はいると思うが)。親によっては友達とも遊ばせず学校から帰ってきたら家にいるように強要するのだっているから*1そうなると逃げ場はない。家でも学校でも傷つけられている子供に逃げ場はない。
 そういうとき私は「本を読め」*2という。


 教育的な意味で言うのではない。本を読めば世界がかわるといいたいのでもない。
 「本を読む」という行為は、だれがみても「本を読む」という行為だ。何かしている、というポーズをとることができる。
 また、本を読むという作業は音がほとんど出ない。本に没頭することで周りを消すこともできるし、本に没頭して音を出さないことで周囲はその子供を忘れ去ることができる。存在を消すことができる。
 さらに学校には必ず図書室がある。本は無料で借りれる。お金がかからない。持ち運びができる。どこでも読むことはできる。本をよむことで物理的に時間を消費することができる。それがどんな本であっても。
 それにたいていの人間は「本を読む」という行為に対して悪いイメージを抱かない。子供が勉強してたり本を読んでいて悪く言う人はあまりいない*3。だから傷つけられている子供は、本を読むという行為によって自分を正当化することもできる。


 あとひとつ、文章を読むといいことがある*4。本の中には別の世界がある。いろんな人間が出てくる。書いた人の世界がこめられている。今属している世界とは別の世界が、手のひらの中に開けているのだ。もし本に没頭することができるのであれば*5、知らない風を感じることができる。周りの大人は誰も言わないようなことをいってくれる人がいる。もしかしたら「あなたは悪くない」といってくれる文章に出会うかもしれない。少なくとも本の数だけ別の世界がある。そして読んでいる間はあなたはその世界に属することができる。その世界は虚構であるが、でも確かに存在するのだ。


 誰もあなたの心の中にまでは入ってこれない。誰もあなたの心の中の世界を踏みにじることはできない。そしてあなたはどこまでいってもあなた自身からは逃げられない。物理的に逃げ出すことが不可能ならば、精神的な世界に逃げ込むのも手だ。そこには誰も来ない。誰も入れなくていい。誰にも見られない。誰を嫌ってもいい。何を思ってもいい。誰もあなたのことを傷つけたりはしない。
 心は自由だ。もし心までも自由にならなくなったら、それはあなたがあなた自身を傷つけているからだ。狭い世界の中に自分を押し込めようとしているからだ。でも今目の前にある現実の世界がすべてではない。だからそんな狭いところに無理に収まることはない、窮屈な思いをする必要なんてない。

(2006.11.11)
(2012.7一部修正)
とういかわかいなー

*1:その多くの場合虐待が疑われるが

*2:文章を書くこともいいと思うが、形として残るとあとでそれをねたにまた傷つけられる恐れがあるのでとりあえずは勧めない。思うことと書くこととの間には非常に深い溝が存在していると思う。簡単に飛び越えることはできるけれど

*3:たまにいるが。勉強してさえいればいいとでも思っているのかとかいうやつが

*4:本に限ったことではなく文章というもののもつよさだが、ここでは本ということにする

*5:慣れればできるが。毎日毎日本ばかり読んでいると本を読む能力はものすごい上がる。私はありとあらゆる本を読んだ。幼児書も児童書もライトノベルも純文学もノウハウ書も専門書も聖書も神曲も目の前にあれば読んだ。意味がわからないものも多かったがなんとなく意味をつかむコツは身に着けた