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女らしさというたくましさ

 僕はまだ十代だった。彼女は僕を見てにっこりと笑った。あら珍しい。女の子が来た。そう言って、男の子と変わらない格好をして無造作に髪の毛を束ねているだけの僕に向かって、彼女は他の誰とも違う笑顔を向けた。僕はきまりが悪くて笑顔を作った。
 彼女は若く見えた。かっちりとしたパンツスーツをきて、きびきびと歩いていた。矢継ぎ早にしゃべり、背筋をいつもぴんと伸ばしている。大きな声で笑い、好奇心に満ちた目を輝かせ、親しみを込めてしゃべる。ぼくはばかみたいに口を開けて彼女が嵐のように通り過ぎていくのを見ているばかりだった。


 久しぶりに見た彼女は新聞の中にいて少し体をかしげ、ポーズをとっていた。女性らしいスカートを履き、感じの良い笑顔で笑っている。え、なになに、なにそれ? わぁ、おもしろい、あたしきれい? 彼女の目がそう言っている。僕はその写真を見て噴きだす。何をしているんだと笑う。でもきっと彼女のことだから、どういう思惑でその役を買わされたとしても、それに対して何を言われたとしても楽しそうに笑うのだろうと思った。


 きっと彼女は若い頃は美人だったんだろう。勇ましくて賢くて、愛嬌があって美して、そのことをよく知っている。今だってそんなに年をとっているわけではないけれども、でも彼女は自分が若くないことを知っている。若くなくても居場所があることを知っている。その場所を簡単には剥奪されないことを知っている。だから彼女は好きなことをする。したい格好をする。誰かに何かを言われても気にしないのだ。


 男っぽい格好をしていれば満足する人はいる。あの人は女らしさを武器にしていない、勇ましくてかっこいい、だからよい。私たちは女じゃない、そうであってほしい、まっすぐに顔を上げて女らしさの対極を生きてほしい。そう願う声がある。そうであれと呪う声がある。つつましく質素に地味に装っていることを美徳とする人々がいて、そうするうちにモノトーン以外の持ち物を持つことが怖くなる人がいる。目立つことを恐れるようになる。
 女らしい格好をすると不満に思う人もいる。媚びているようにみえる、ただでなくても大変なのに女らしさにまで気を配らなければならないように思わされるから、だから嫌だと思う人がいる。女らしさに苦しめられる人がいる。そうならなければならないと受け取る人がいる。でも、男らしくしなくても良いのか、と安心する人もいる。

 でもきっと彼女はそういう人達の事を考えているわけではないし気にしていないだろう。したい格好をする、着たいものを着る、やりたいことをする、時々面白そうだからしなを作ってみる、自分が素敵だと思う笑顔の練習をする、綺麗と言われると嬉しいから化粧をする、そういう喜びと、絶え間ない苦難と忍耐の日々。誰かを喜ばせたり驚かせたりするのはわくわくする、その気持を忘れない毎日。彼女は強い心を持っているから、その日常を維持することができる。自分が強く魅力的なことを知っているから、誰かの願いを叶えられないことに恐れたりしない。


 僕はそういう彼女に勇気づけられ、騙されて走ってきたし、これからもきっとそうなのだろう。誰かを思わず走らせてしまうだけの魅力をもつひとはほんとうに少ない。しかもそれを楽しそうにやり遂げてしまう人は一握りもいない。でも誰かの願いを叶えられないことに恐れずにいることは僕にだってできる。無邪気に美しさを求めることくらいなら僕にだってできる。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/101226/edc1012261801000-n1.htm
http://togetter.com/li/83315

(2010.12.28)
(2012.12.16誤字修正)