鴨川の抱く夕暮れ

 みてみて!これすっげーおもしろくね?といいながら布団を蹴飛ばす僕に、彼女は呆れたように笑った。そしてなにとはなくしみじみと、君は本当にかわいいなぁ、そういう良さが分かってくれるひとが現れるといいね、と言った。
 その頃失恋したばかりだった僕は少し笑って、その言葉に何も返さなかった。ほどなくして疲れていた彼女は眠りに落ちて、僕は夕暮れ時の静かな一時をぼんやりと過ごした。
 僕たちはお金のない学生だった。夜行バスでやってきた京都はひどく暑く、体力のない彼女はすぐに根を上げた。お金がないなりに途中で冷たいものを食べたり、甘味をとったり、川のそばで涼をとったりしてはいても彼女の体力は照りつける太陽のようにじりじりと焦げ付き、クーラーのきいた部屋の中にしばらく入ると眠りに落ちてしまうだろうと、僕は思っていた。彼女が眠り込んでしまう前に夕食は少しだけぜいたくしようね、と約束をして、僕は携帯で知らない土地のぐるなびを見ていた。いくつか見ていくうちに自分の食べたいものに突き当り、そこから類似の店をいくつかピックアップする。少し雰囲気が良くて、でも高くなくて、小食で偏食な彼女も、おなかがすいた僕も満足できるような、そんな店を探すのはなかなか骨が折れた。
 二時間ほどして目が覚めた彼女は、今何時?と寝ぼけた声で聞いた。僕が答えると、一気に目が覚めたのか瞠目して嘘!と叫んだ。よく寝てたねーという僕に申し訳なさそうな、恥ずかしそうな顔をする彼女が僕は好きだ。


 僕は彼女以上に好きになれる人は、たとえ異性でも二度と出会えないだろうと思っている。彼女が結婚し子供を生み、家庭を持ってもなお、僕は彼女のことが好きだ。僕はヘテロだし、彼女に性欲を抱いたりはしないけれども、性欲を抱かないからといって彼女への気持ちが劣るものだとは思っていない。
 でも、彼女にとっては僕は特に仲のいい友人であることに変わりはないけれど、でもそれ以上ではないのだった。彼女にとって僕は、唯一無の一ではないのだった。友人たちはみな、僕たちが特に仲が良いことを知っていて、しかも僕が片思いであることも知っている。僕にとってその思いを言葉にできないほど彼女は大切な人なのに、彼女にとって僕はいつでも交換がきく人間なのだということは、皆が認めるところだ。


 夜風に吹かれてたどりついた店は予想通りなかなか良い店だった。残念ながら川辺の席は取れなかったが、それでも十分にぼくらはぼくらなりのぜいたくをして、お酒を少し飲んで、最後にお茶漬けを食べて、いつもより豪勢な夕食を終えた。帰り道に寄ったコンビニで彼女は梅酒を手に取って、飲みきれないかもと言ったから、余ったら飲むよ、と僕は答えた。彼女はなにを言うでもなく笑う。
 飲めないのにお酒好きだよねぇ、ほんとと僕が呆れて言うと、彼女はうん、と無邪気にうなずいた。なんだか飲みたくなるんだ、お酒飲んでると楽しいから。チューハイを一口か二口のんだだけで記憶をなくす彼女を介抱しなければならない立場の僕は、まったくもう、と言ったけれど、彼女はただ笑うだけだった。君も、と彼女は言う。


 君も、お酒飲んでいろいろ忘れられたら、もっと楽に生きていけるのかな。
 僕はどうだろう、と言う。お酒を飲んでいろんなことを忘れたり、理性を飛ばして騒いだり、そういうことができる僕だったら、こうやって二人で京都に来ることもないんじゃないかな。彼女は朗らかに笑って、確かに! と声を高くした。少し酔ってるようだぞ、と訝った僕のことは気付かずにふらふらと彼女は菓子を物色し始める。僕はドライフルーツを手にとってしげしげと眺める。
 さっきの、と彼女はいつもの口調で言った。さっきの布団蹴ってた時の顔、ほんと子供みたいでかわいかったよ。
 なにいってんの、もう、という僕に彼女は笑ってみせる。その顔の方がよっぽど子供のように邪気がなくて僕はまた彼女を憎めなくなる。

ブレーキも踏めない

 薄手のシャツの襟の下に、黒い痣は隠れている。何とはなくそこに触れるたびに、私は深い沼の底にいるような錯覚をして息ができなくなる。
 運転免許を取りに行ったのは、大学一年生の夏休みだった。
 一括で全て払いきれるほどのお金は溜まっていなかったので、座学分だけ払込み、残りは夏休み中にアルバイトをしながら稼いだ。教習のたびに数千円が消える。紙は淡々と私の前を通りすぎていくだけだった。
 計算では7月の終わりに教習所に入学し、9月の半ばから後半に卒業、そして10月の初めの誕生日を過ぎてから免許センターに行き、試験を受ける。それが最適だと計算した。比較的のんびりとしたプランだったが、それでも私にとっては最短のコースだった。この夏休みの間に上京のために物件を探し、その契約も済ませねばならなかったからだ。敷金と礼金を払うためにアルバイトの時間を増やすと、どう頑張っても教習の時間をこれ以上捻出できなかった。教習所に向かうバスの中に射す夏特有の朝の日差しはいつも眩しく、家に帰るのは眠るためだけだった。
 私は家に帰りたくなかった。毎日家に戻るたびに、生死の境目が危うくなった。だから帰りたくなかった。家にいればなぜ家にいるのかと言われ、アルバイトの給与の額面を見ては母は働かないからだと私を殴った。穀潰しは早く出て行けと口汚くせせら笑った。かと言ってアルバイトや教習で遅くなれば、なぜもっと早く帰ってこないのかと彼女は私を罵るのだった。姉はにやにやと気味の悪い笑みを顔に貼り付け、それを見ているだけだった。そして姉は私が内見しに行こうと考えている物件を眺めているのだ。姉は一日家にいるのに、母はなにも言わない。物心がついた頃から、私と姉の扱いはそうと決まっていた。私にとっては覆りようのない真理だった。でも殴られれば痛みは残ったが、忘れてしまえばいいだけだった。眠りに落ちるたびに私は何もかも忘れ、翌朝は穏やかな気持ちでバスに乗って教習所に行った。


 女の子は元気がよくないとな、と路上教習の時に教官が言った。その教官は怖いと有名で、はんこをなかなかくれないと教習所で再開した旧友からも聞かされていた。事実、ブレーキの踏み方で何度も注意を受けた私は萎縮していて、信号に出会わないことを祈っているところだった。
「あんたは考えすぎて事故るタイプだな」
 教官は日に灼けた顔をかすかに歪めていった。若い頃は精悍な面立ちだったのだろうか、短く刈り込んだ髪の毛も真一文字に結ばれた唇も頑固な職人を想起させるそれで、ブレーキのことさえなければ私は彼のことは嫌いではなかった。昔から職人タイプの男性にはかわいがられる所があるし、彼らは曲がったことはしない。だからちっとも怖くない。
「考えたってしょうがねぇ時もあるんだよ、そういう時は強引に行っちまったほうがいい。なんとかなる」
 いいんですかね、と半笑いで答える私に、彼は深々とうなずいて前を凝視していた。開け放った窓からは、青い稲穂を撫でる透明な風が指先をかすめて通り抜けていく。
「あんたは頭いいしな。ちゃんと考えられるし状況判断も間違えない。あとはちょっと強引になるだけ――あぁ、ブレーキもだな。ブレーキがうまくかけられるようになったら」
 そこでぽん、と彼は太ももを叩いて、また微かに顔をゆがめる。
「教えることはもうない。なんもない」
 私は黙ってハンドルを握り直し、黄色になった信号を気にしながら、いつも言われているとおりにブレーキを踏んだ。教官は満足そうに唸って、それからまた女の子は元気がないといけない、といった。そうですね、とだけ答えて私は愛想笑いを浮かべた。なぜ彼が同じことばを繰り返したのか、私にはわからなかった。


 路上教習のキャンセル待ちの合間に、電話がかかってきた。姉からだった。物件を決めたという話だった。私には内見しに行く権利さえ与えられなかったのだ。
 決めたその部屋に住むのは姉ではなく、私だ。諸々の費用を払い、労働力を差し出すのは、姉ではなく私なのだ。だが、姉が決めたということは、彼女はなにも支払わず、そこにいつのまにか寄生する気でいるということに違いなかった。私の少ない予算の中で用意できる生活に、彼女が期待するなにかが得られないのは確かで、でも姉は理解していないだろうことはわかっていた。姉が文句を言った時、母に殴られるのは私だろう。母は私を殴るだろう。力いっぱい、痣ができるまで。あらゆるものを差し出すしもべになれと、二人は言っている。時々餌を与え、それがなければ生きていけないと信じている私は彼らにすがりつくしかなかった。彼らの手口は巧妙で、まるで私は愛されて育った何も知らない子供のようだった。でも私が願っていたのはただひとつだけだ。どうか殺さないでください。そして私は彼らにされるがままに身をまかせる。
 私はただ、ああそう、と無表情に答え、電話を切った。それから、陽が燦々とあたるベンチに腰掛け、目頭を押さえじっと座っていた。ただ、静かだった。
 考えてもしょうがないことがなにか、私にはよくわかっていた。でも、強引に切り抜けることはできないのだと思っていた。身を引き、力を抜いたほうが傷つかないと知っているからだ。下手に力を入れ抵抗をすると、いつまでも痛みが残る。誰かの言いなりになり、家畜のようにおとなしく頭をたれ、ただ黙っているのが一番いい。それが一番楽で痛みがない。黙っていればその内終わる。なにもかも終わる。なんとかなる。元気なんて、生きていくためには必要ない。感情だってきっと、必要ない。
 胸の内からこみあげてくる暴力的な衝動に私は歯を食いしばった。誰かを、いや、だれかではなく相手は決まっているのだが、その名を呼ぶことさえも出来なかった。「それ」をめちゃくちゃに殴りつけてやりたいと思った。激しい勢いの感情が溢れ出してくるのを感じた。うっかり動けば壊れてしまうような気さえした。
 私を制したのは単なる義務感だった。衝動に任せたところでどうなるというのだろう。忘れてしまえばいい。忘れてしまえば、私はまるで普通の人のように振る舞うことができる。不幸などなにも知らないという顔をして人を欺くことができる。自分自身で信じこむことができる。だから、泣いたりなんかしないんだ。
 夏はきっと、重く暗いまま過ぎていくだろう。眩しい光に目を細めても、暗い沼の底にいることに変わりはない。私がそこを出ていくことは許されず、ただたゆう水面を見上げていることしかできない。力を抜き、やり過ごし、そして終わる日がくるまでじっと耐えるだけなのだ。そんな諦観の中で、しかし諦めきれずにもがいている。日々。永遠に変わらない気がした。夢なんて、希望なんて、生まれた時から死んでいくまで持てないんだ。叶うわけなんかないんだ。


 その日の送迎バスの運転手は、ブレーキにうるさい、あの教官だった。混んでいるバスの中で運転席の斜め後ろの席しか見つけることのできなかった私は、カバンを膝に置き、規則正しく動く彼の足もとを眺めていた。ブレーキを踏み込み始めるタイミング、踏み込む強さ、窓の外を流れる景色とその感覚を思い出して私はカバンの紐を両手で握った。感覚はつかめるようでつかめなかった。
 私が降りる停留所は送迎バスの終点だ。そこにたどり着くまでには私を除いた全員が降車してしまい、教官は誰もいなかったらもう帰っちゃうんだけどね、と私に笑いかけた。私もにっこりとわらい、すみませんと答えた。
「ブレーキ、できたか」
「なんかこう、わかるようなわからないような……」
「ずっと乗ってりゃできるようになるよ。なんとかなる」
 自信に満ちた声に、私は仕方なく唇の両端を引き上げた。最低限の笑みは私の得意技だ。車の運転をしている人は私を見ないからいい。最低限の笑みに、なにを考えているか気取られることはない。
「最初エンジンかけた時だってな、そうだっただろ。とろっとろ構内走ってさ、路上になんかでれたもんじゃなかったけど、でも今は出れる。まだ危なっかしいけど、まぁ免許取ったら一人で乗れるようになるし、しばらく乗ってりゃ初心者マークだっていらなくなっだろ」
「――……」
 暮れかけた藍色の空のなかに、家々の黒い影がくっきりと線を引いている。暗闇に紛れて無灯火の自転車が走っているのがかすかに見え、黄昏時の運転は気を付けろと言われたな、ということを私は頭の隅で思い出す。
「ちょっとずつできるようになりゃいいんだよ。ちょっと強引に行くのだってさ、若いからむっかしいだろうけど年食ったら誰でもできる。うちのかーちゃんだって強引でしょうがねぇしな、あそこまで強引だと逆に危ないけどさ」
 彼はいつも微かに笑う。私は声を立て笑顔を作った。どういう顔をすれば、相手が満足するかを私はよく知っているから、その動作をためらうことはないのだ。
「なにがあったかしんないけどね」
「…………」
 表情は動いただろうか。朴訥なふりをして、したたかに相手の顔色を伺い、無表情を取り繕うのは得意なはずだ、と私は自分自身に確認した。もしなにか見られていたとしても、私自身の抱える問題を誰かがずばり指摘できるはずがない。
「たまにはアクセルも踏んでやんな。ブレーキのかけ方知ってんだからアクセル踏んだって大丈夫だよ。みんなやってんだ。どうにかなる」
 のろのろとうなだれて、私は自分のつま先を見下ろした。体にかかる力にあわせて、右足の足裏に力を込める。ゆっくりとため息を付いてマイクロバスがとまるまで、私は右足のつま先を見つめていた。

忘却という防御

 忘却がいつから始まったのか、今となってははっきりしない。昨日と同じ失敗をしたらしくひどい罵声を浴びせられながら、父は背中を丸めて大根を切っている。今年に入ってから老けた。みるたびに皺は濃くなっていく。張りつめる空気の間を泳いで庭に下りる。
 怯えた様子で犬が駆け寄ってくる。家の中の不穏な空気に敏感に反応して、中を覗き込んでは撫でてくれと身体を寄せてくる。不憫に思ってその小さな背中を丁寧に撫でてやる。
 どこで生まれたのかもわからない犬である。見つけたときは、処分されるのを待つだけの身だった。そんな犬だからなのか、空気を敏感に読んでそして甘える。撫でてやると安心してもたれかかってくる。それでも耳は動き続けている。怯えているのだ。


 父はただのお人よしだった。そういわれ続けてきた。小さい頃から身体も小さく、病気がちで、頭もよくなく、要領も悪くて運動も苦手だった。だからいつもいじめられてきて、そうするうちににこにこすることを覚え、誰かの言おう通りにしてれば世の中を泳いでいけることを知った。考えることは苦手で、単純作業を丁寧にこなしていくことが得意だった。その生き方を重宝する場所もあった。時々酒を飲んで酔いつぶれてくだを巻き、だがそれだけだった。名もなきひとの、平凡な人生。恐らく傍からみれば家庭を持ち、家を買い、それなりに裕福で、子供を一人も死なせることなく大学まで出してやり、幸せな人生だといわれることだろう。でも実際は大きくない背中をいつも丸めて、罵倒や怒声をやり過ごしてきた、その姿を見ても人は同じことを言うだろうか。
 いつからか、昨日のことを覚えていられなくなった。失敗したことを忘れるようになった。忘れたことを忘れるようになった。彼の頭の中には幸せな記憶しか残らなくなった。たくさんの罵倒や怒声の全てを忘れることをいつの間にか選んだのだ。
 その人生について思う。その人生は果たして幸せだったのだろうかと思う。いつだって平穏は手に入れられなかった、いつだって悪意を向けられていた。それでも生きてきた、生きるしかなかった、笑う以外に手段を持たなかった。やり過ごす以外に術を持たなかった。それももう終わるのだ。全て忘れていく。忘れていってしまう。ずっと望んでいたただ幸せなだけの毎日が少しずつ準備され始めている。


 私にもたれて安心している犬がびくりと身体を動かす。その筋肉の動きを掌に感じて声をかける。大丈夫だよと、声をかける。おまえは幸せだろうか。大丈夫だよと声をかけてくれる人がいるおまえは果たして幸せだろうか。
 春の近い空を見上げる。去年の春、何をしていただろうかと考える。それから犬に話しかける。一人ごちるでもなく、しかし返事を期待するでもなく、ただ話しかける。私が一人だったとき、一人で冷たい空を見上げていたとき、寒さに震えていたとき、おまえがいたならまた少し違った今があっただろうかと考えながら、その身体を撫でる。おまえと後何回くらい桜を見に行けるのかな。私はもう戻ってこないかもしれない、おまえを忘れるかもしれない、それでもその怯えた瞳を思い出せば身体を引きずりながら戻ってくるかもしれない。もう後数回もないだろう、毎年見上げる桜の木の下で、今年は何を思うのだろう。


 みな忘れていく、みんな死んでいく。だから人は生きていけるんだ。

鋭光

 手を伸ばしかけたところで記憶がよみがえる。対面した相手のさらに後ろで記憶のあなたが手を振る。僕はぎょっとして立ち止まり、それから立ち尽くす。あの記憶のかけらは散り散りに砕け散ってしまったからどこに残っているのか、未だに僕は予期できない。割れたガラスの散らばる床を裸足でそうっと歩いていても時々鋭い切っ先が足の裏を抉る。僕はただ、立ち尽くすことしかできない。
 泣きたくなって僕はあわてて首を振った。僕はもう誰の手も握れないことを知っている。そのあたたかな指がまだ記憶の中にはっきりと残っているから、誰かのあたたかさに触れるたびに鋭い痛みが走り、うめき声が漏れる。
 その一つ一つ、僕が得ることのできなかった、そして欲しいと願っていたいくつもの些細な積み重ねがあの日々の中にはあった。
 誰かに見送られるということ、誰かの庇護の対象になるということ、誰かに心配され、手を差し伸べられ、ただ甘えるということを僕は欲していただけなのだろう。それは僕にとってはひどく優しく甘くずぶずぶに腐っていくような感覚とともに手放したくない強烈な何かだった。それが相手にとっても同じだったと僕は思わない。そこは日だまりではなかったしいつまでも浸かっているわけにはいかない湯の中であることも僕は知っていて、でも引きはがされるのは何物にも代えがたい苦痛を伴ったことも確かだった。あの日から僕は死んでいるし、これから息を吹き返すこともないだろう。夏の空を彩る花火のようにいつかは消えていく一瞬のきらめきだったことを僕はどこかでわかっていた。その色があまりにも鮮やかすぎて忘れられないだけなのだ。

 出会ってしまうことは不幸だ。知り合い、距離を縮めるということは苦痛だ。そしてそれを失った後の世界はただの虚無だ。悲しむことは容易くそして長く長く後を引く。僕は未だに時々ためらって、立ち止まり、そして立ち尽くすしかない自分自身を笑う。教えてほしい。この長い夜を終わらせるために僕は何を目指せばよいのか、わかるものなら教えてほしい。僕に差した一筋の光ははかない思い出になって消えてゆこうとしている。あの強烈なまばゆい夏の日差しも僕はもう二度と得ることはできないだろう。救い出してほしい、ここから。この鼻をつくような濃い闇のにおいの中から僕を。

 こんな暗闇の中にいる僕でも、誰かに光を投げかけることはできるのだろうか。

郷愁にて

 ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。
 育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば、東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所だが、それでも私にとっては十分すぎるほどの田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は七時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
 電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼと、その中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈が頼りなく照らす道を、闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると田んぼに満々と水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り、嵐の後は大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかないから、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
 みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。
 私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。


 高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住処を確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
 私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中にある、学生用の古い汚い部屋が私にとっての「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は窮屈そうに軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにおさまり、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
 都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
 田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
 だが、山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。
 コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。
 大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら、新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる、その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨がふれば大きな水たまりができていた野原を改良し、バスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関して、ただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。

 盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
 ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたスーパーマーケットチェーン店である赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
 ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。

 そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
 「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。


 私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。

帰途

 駅に降り立つとむわっとした不愉快な空気に迎えられる。会社がある場所より二度か三度気温が高く、じっとしていても汗がじんわりとにじみだしてくるような湿気を伴った濃密な空気、そして潮の香。海から遠くないこのまちは、夜になると潮の香がきつくなるが、僕はいまだにそれに慣れることができない。生臭い、生き物のにおい。海辺で嗅ぐそれは強い風のせいでほとんど分からないまでに薄められていて心地よくすらあるのに、風を失ったこのまちのなかでは、風に含まれる不愉快さだけがぶちまけられていて、僕は思わず顔をしかめる。
 まちの中に滞留するひどく不愉快なにおいと、夜が更けても昼の名残を失わない気温がさらに不快感を増しているのだ。僕はあぁ、とため息をつきながら空を仰ぐ。ホームの上に白い月がかかっている。ひどく澄んで潔癖な光を投げかける月が覗き込んでいる。海の中を覗き込む子供のように、月がまちを見ている。そういう錯覚を覚えるほど、潮の香が濃い。
 白く濁った夜空にサーチライトが一筋のひかりを投げかけている。ただのパチンコ屋の宣伝でしかないはずのそのサーチライトはしかし、空をくっきりと分かち、何か明確な意思を持って誰かを導こうとしているようで僕は好きだ。一条の光の下を走り抜ける電車が明かりを落として過ぎ去っていく、その景色が僕は好きだ。窓の中に一瞬だけ映る人々の顔を見上げるのが、僕は好きだ。
 まっすぐな道のうえをぽつぽつとともる電燈が、頼りなさげに立っている。月のように清澄な静かな光ではないが、その代わり暖かみを持ったか細い光が帰り道を照らしている。昼になれば存在感が極限まで薄れてしまう電燈は、なぜ夜になっても所在なさげな光しか投げかけてくれないのだろう。
 そんなことを考えながら僕は帰途をたどる。かかとがアスファルトをとらえる感覚がけだるく疲れた足に響いてくる。重い。時々体は驚くほど重く、たった一歩を進むことですら億劫になる。
 この道をたどるようになってもうすぐ一年が経とうとしている。
 毎日毎日同じ景色を眺めながら、僕はぼんやりといろんなことに考えをめぐらせながら歩く。そういえば去年の今頃の僕は不確定な未来に対して怯え、慣れない毎日に疲れ、苛立ち、安定を失っていた。いつでも踏み越えられる境界線の上で時々舌を噛んで、痛みに呻いているような、そういう毎日だった。暗闇の中で、光があるような気がして追いかけては見失い、あるいは光だと思ったそれが幻だったことを知り、立ち尽くす。そんな毎日だった。慌ただしく夏はすぎ、秋が来て、僕はいつもなんでもないという風を装いながら怯えていたのだった。
 帰り道はただ前をまっすぐに見て、空を仰ぐ余裕もなかった。ただ毎日が精いっぱいで、全速力で、泣きたくなるほど美しく、同時に悲しくなるほど散漫としていた。サーチライトだけがいつもきっぱりと空を分かっていて、僕はそれを見上げながら帰った。


 彼は僕の目を見ていった。コードを書きたい?
 僕はうなずいて、書きたいですとはっきりと言った。彼が笑ったかどうか、僕は覚えていない。
 僕は誰かに呼ばれてその声の方を見、そしてまた彼を振り返った。そこに何を見たのか、僕はもう憶えていない。覚えているのはその日から僕がコードを書くようになったということだ。
 彼はいつも笑いながら、僕に指針を示して見せた。優しく諭すように、噛んで含めるようにひとつひとつ正確な言葉で、わかりやすく語ろうとする。僕はその一つ一つを受け取ることに精いっぱいで、時々大きな勘違いを犯したり、あさっての方向へ走りだそうとしたりもした。彼の言わんとすることを消化しようと頭を抱える僕を、彼はあせらせはしなかったし貶すこともなかった。ただ僕が黙りこめば時間を与え、僕がたずねればわずかなためらいの後に無尽蔵の優しさを僕に対して提供する。そういう幸せな日々があって、唐突にそれは途切れた。僕の上を平凡な日々が波のように押し寄せては引き、いつの間にか季節がめぐっていく。


 今日もまた、何もなかった。平凡で幸せで、退屈で、穏やかな一日が終わった。小さなアクシデントがあって、その解決があって、笑いがあり、怒りがあり悲しみがあった。
大きな変化はなく、しかし小さな変化が積み重なって、物事は前へと確実に進んでいる、そういう確証を持つことができた。いつもの、些細な、日常。
 僕はうつむいて笑う。影がアスファルトの上を延びては縮み、伸びては縮む。前にあると思えばまた後ろに消えてゆき、そしてまた前に現れる。繰り返していく日常のように、規則正しくその動作を繰り返す。明日もまたきっとそうだろう。僕が生きて行く限り、そういう日々が続くのだ。疲れていても落ち込んでいても、緊張していても、浮かれていても、雨が降るように、夏が来るように毎日はただ平坦に続いていく。僕はそのことをひどく幸せに思う。
 さようなら、と何とはなく僕はつぶやいた。
 幸せだった今日に。僕が失ってしまった昨日に。あたたかいおもいに。いくつもの忘れられない記憶に。そして笑う。笑おうとする僕の鼻を刺激したそれを僕は潮の香だと思った。
頬を濡らしたそれを僕は汗だと思った。頼りない街燈の光の輪郭がぼやけて、あぁ、と僕は呻く。脚がゆっくりと前に進むのをやめる。立ち尽くした僕の前に長い影が差している。光はもうずっと後ろの方へ行ってしまって、僕には届かないのだ。僕はそのことがわからなかった。そして気付いてしまったのだった。

 あの、サーチライトよりもきっぱりと、月の光よりも穏やかに、そして街燈の光よりも優しく僕を照らした光を僕は失ってしまった。
 あの光は二度と僕を照らさないだろう。僕はまた薄明の中をさまよって明けていく早朝の空を仰ぐのだろう。危うい均衡の中で保たれていた美しい夜明け直前の空に焦がれながら、一歩一歩進んでいける確証を胸に抱えて。あの場所に僕はいない。だから、あの頃と同じ光は差さない。ただそれだけなのに、僕はひどく悲しい気持ちになる。
 僕は暗闇の中をさまよいながら光を頼って少しずつ明るい方へ進んできた。ひかりは僕を導き、僕はそれを信じ、ただがむしゃらに前へと進んだだけだった。夜は明け始め、僕は薄明の中で目をこすりながら影と闇の境目を見極めようとする。光が増え明るくなり、そして僕を導いていた光が少しずつ見えなくなる。見えなくなってしまう。

 さようなら。
 立ち尽くしたまま僕は白い月を仰ぐ。こちらを覗き込んでいるような優しい光を投げかける月を仰ぐ。
 さようなら。あなたのことを本当に。