母は東京にはイオンがないという

 記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
 父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から十軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。
 父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんどという中で、父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない、日本によくある限界集落の一つだ。
 引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。


 バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
 父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人ばかりだった。
 でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかったのだろう。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるが、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきて、都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。
 教育にしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
 子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
 そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
 祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
 たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。
 私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。
 田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。
 犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。
 彼らはそう言う。
 あんなにも都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
 私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。
 でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。
 田舎にあるのは、一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活である。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
 それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張するのだろう。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

(2010.8.31)
(2012.7加筆修正)

手のひらの中で

 お金貯めて一括で払えるようになるまで我慢すると言った僕を、彼はとがめるような目つきでみた。斧田さんっていつもそうだよね、という言葉に非難の色を感じても僕は黙って笑う。
 こう、なんていうか、思いつきでぱーっと使ったりしないの? と彼は問う。僕はしないねぇと答える。その瞳の中にある色に全く気付いていないような涼しい顔で、ミルクティを口に運ぶ。僕は喫茶店でコーヒーを飲まない。僕には苦すぎるからだ。彼はそのことも少しいやそうにする。僕は気付かなかったふりをする。
 だって怖いじゃん、明日いきなり病気になったらどうする? 今日帰りがけに事故にあって入院することになったら? もしくはとんでもないことに巻き込まれて急に大金が入用になったらどうする? そのたびに冷や汗をかくのは嫌なんだ。
 そんなことそうそうおこるわけないじゃんか、と彼は怒ったように言う。僕はその顔から眼をそらす。
 別に、と彼は言葉を付け足しかけたところで、汗をかいたグラスを指でなぞって、忙しそうに紙ナプキンでぬぐった。別に、お金貯めてからかうのって確かに正しいことっていうか間違っちゃないけど、なんていうかこうどうしてもほしい! とかそういう感覚ってあるじゃん、今使いたい、みたいなさ。
 僕は口角を一定の位置に保ったまま彼の顔を見なくて済むように視線を伏せて、マグカップを掌で覆う。湯気が、掌の内側をなぞる。彼は僕のそんな仕草は見ていないだろう。見ていたとしても、きっとなにも思わないに違いない。僕はそれを知っている。彼は不機嫌な声で続ける。先にものだけ手に入れてあとでゆっくり払っていくのだって別に間違っちゃないし、そっちの方が、人間らしい。
 僕はちょっと笑った。別に衝動買いしたりローンでもの買ったりするのがだめだなんて言ってないじゃん、ただ私はしないってだけ。ローンで買うのは好きじゃない。
 彼は絶句して、口をへの字に結んだ。僕は彼の暴言には気付かなかったふりをして、掌を少しずらして湯気を逃がしてやる。掌の内側が湿っている。


 その顔に書いてある非難を一字一句僕は拾い上げることができる。その言葉をすべて誰かから言われたことがあるから、彼が何を思っているのか僕は分かってしまう。そのお金を稼ぐことができ、貯める余裕があり、計画性を持って欲求を抑制することができる人ばかりではない、と言うことを彼らは言う。僕もそうだろうと思う。恵まれているといえばそうなのだろう。でも、と僕は思う。
 定期的な支出が千円とか五千円とか一万円とか増えた時に、それが原因で生活が回らなくなる恐怖をあなたは知らない。自分が自由に使える収入がほんの少し減っただけで困窮する生活を、その収入すらも保障されていないことも、それゆえに実際の生活以上に精神が追いつめられることを、実感をもって知っているわけではないのに、あなたたちは私を恵まれていると言う。そんなことができる人ばかりじゃないと言う。僕はその一定ライン以上の生活しか想像できない貧困な思考力をいやだと思う。計画を立ててその通り実行することを人間らしくないとまでいう、偏狭な価値観をいやだと思う。
 あなたにとって喫茶店ではコーヒーを頼むものだという思い込みがあってそうでない人を不愉快そうにみるように、ほしいものがあったら何もかも忘れてそれを手に入れずにはすまない情熱を持たない人は人間ではないんだね、と心の中で呟いて、僕はただにっこりと笑う。口に出してもしょうがないことを僕はたくさん知っている。あなたと僕は分かりあえない。でも僕はそれを口に出さないから溝は深まるばかりだ。

(2010.10.30)
(2012.6加筆修正)

頑張ることはたやすい

 頑張ることはたやすい、と昔書いたような気がする。
 頑張ることはたやすい。一生懸命であることは労力を必要としない。諦めないことは造作もない。ただ何もかも忘れればいいだけだからである。それよりも、自分自身のリソースを把握し、正気を維持するために生活を制御をすることは、なにかにただひたすら打ち込むことよりもエネルギーを必要とするのだ。それも精神的なエネルギーを。だから放っておくと人間は好きなことに打ち込んでしまう。そういう生き物なのだろうと思う。


 寝食を忘れて、物事に打ち込むということがある。限界を超えて、新たな境地にたどり着く最短で確実な方法は、ただ一つのことだけに打ち込み、他のあらゆることを忘れ去りおざなりにすることである。限界を超えんとする行為自体が非常に危険な賭けであることすらも忘れてしまうことである。かくして体もしくは心あるいは両方が摩耗し、乗り越えられなかったものはどちらも失ってしまう。
 心が死ぬと、すべての出来事は義務になる。すべての仕事は惰性になる。そう思わないと体が動けなくなるから、そう思い込んでしまうのだ。心が死んでいる人は目的を忘れている。挑戦には目的があったはずなのに、それを失い義務で動くようになる。目的を意識するのは精神的なエネルギーが必要だからだ。できるだけ何も考えず、何も感じず、ただ目の前にあることをこなせるように心は死に、人はそれに従うようになる。それでも体に余裕があれば人は死なない。体に余裕がなくなれば人は死ぬ。とても簡単に死ぬ。死んだこともわからないほどあっさりと、境界線を踏み越えてしまう。
 挑戦をするためには心と体に余裕が必要なのだ。体に余裕がないなら心に、心に余裕がないなら体に。そうしなければ人は死ぬ。その両者は対をなし人が死なないように適度な制御をしている。そのどちらも失ったら人は死ぬしかない。
 僕たちは折に触れ、頑張らないことを選択せねばならない。歯を食いしばってそれを選択せねばならない。頑張ることはたやすい。なぜならばそれは正義に守られたおおいなる惰性だからだ。

(2011.1.29)
(2012.6 加筆修正)

発電機関はデンキウナギの夢をみるか

 西暦0x2011年、夏。
 未曾有の災害と共に発生した、史上最悪と言われる原子力発電所事故により、関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所で電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わり、オワコンだ、と誰もが思っていた。
 E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。
 飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。
 彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDPは10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい。
「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」
「国民は死ねってのかよ! おい! Kを退陣させろ!」
 Eは汗を拭った。マスコミの記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いまや政府は転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには、驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「宇宙の本質はゆらぎ、地面も放射線値も揺らぐのがあたりまえ、我々の存在さえも観測するまでは生きているか死んでいるかわからない」などという迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。
 記者が静まるのを待って、Eは原稿を再び読み上げ始めた。
「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日正午より、首都圏の主要駅を中心に新方式発電装置の稼働を開始いたします……」


 後に有名になる首都圏全域床発電所誕生の瞬間であった。


 手始めに政府はラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。
 これはひとつの天啓だった。
 人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。極めてクリーンな発電方法であることは疑うべくもなかった。
 はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置が首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10万キロワットの発電を可能にしたのである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。
 この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。突っ込んで突っ込んで、突っ込みまくった。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは導電性の繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が、押されたり押し返したり(要するに通勤ラッシュである)すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったというのはまさに画期的だった。


 この発電方式が予想以上の供給を可能にしたことを受け、すべての原発は停止した。原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。
 人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュの電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。
 だから電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置(彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった)からそう日をおかず、一日に割り当てられた発電量を供給できないと罰金が課すという法律――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法が満場一致で可決された。国の財政と電力供給量は飛躍的に改善した。
 一方、国民は疲弊した。疲弊する一方だった。


 あれから二年――


 電力供給量改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、不幸にも幸いなことにK政権は鳥人間も真っ青の低空飛行を続けていた。その間に政治家が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者に向かって「なぜこの世でなければならないんですか?あの世ではだめなんですか?」などと発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが、概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。
 それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。
「自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」
 女が額に汗を浮かべ、無表情に限りなく近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。
 Eは汗を拭った。
 日本経済は回復している、していたはずだった。だが、三十年しか持たないと三十年前から言われている石油がついに三十年後に枯渇するという研究結果が発表され、しかも史上最強の円高が日本を襲ったことによって一時期の回復傾向は再び減退していた。人々は火力発電所もすてさろうと言った。圧電発電装置の運用がうまく行っているのだ。なぜできないといえるのか、と。その上低周波騒音を出す風力発電や、山間の村を沈める水力発電に比べて圧倒的にクリーンな電力なのである。なにかにとり憑かれたように人々は快哉を叫んだ。革命が起きるのではないかとEは思ったが、人気取りが三度の飯の次に好きなKが民意を見逃すわけがなかった。かくして革命は回避された。
 この一年、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。「大丈夫だと思います」「冷静に対処していきたいと思います」「直ちに影響はありません」
 俺だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだって、キーボードの打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから。
 会見は相変わら寒々しく終わった。比喩でもなんでもなく、痩せこけた人々から発生するエネルギーは以前に比べると非常に少なかったからである。


 新しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい電力不足のパネル。
 Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。
 くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。
 Eはあたりを見回した。停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが、議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだから。プラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。
 Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って(コール五回分の振動で約一分間話すことができる)電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。
「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか」
 ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい。
「いえ、私の方にも報告は――」
「どういう事なんだ!」
「T社に問い合わせてください……」
「なんだと! 俺を誰だと――!」
 思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。
「それがあなたの仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ!」
 怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した。携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。もうどうにでもなれ、と彼は思った。誰かが動くのをやめたのだ。Eだってボイコットだ。ストライキしてやる。クソが生み出す電力なんてクソ食らえだ。大して面白くもなかったが彼は笑った。笑いながら彼は吸い込まれるように眠りに落ちていった。


 眠ってしまったはずだった。Eは頬をつねったが、痛くなかった。夢の中だと確信して、彼はあたりを見回した。どうにも何かがおかしかった。違和感の原因はすぐに分かった。彼は眠る前と同じように発電パネルを踏んでいたのだ。
 思わず喚いた彼のもとに黒い影が飛んでくる。なにも考えずにEはその影の胸ぐらを掴み上げ、これはどういうことだと怒鳴った。夢の中なのになぜ発電せねばならないのだ。どう考えてもおかしいではないか。夢は安楽の装置である。なにものをもその安楽を妨げることはできはしまい。だがEの指先をするりと逃れた影(どうみてもウナギ)はぴかぴかと額を光らせて言った。
「x月x日0時より一部地域にて寝たまま発電できるまったくあたらしい布団、ハツデンキカンβ版テストを行なっております。バージョン1.0では、心拍および体動による発電を実現し、まったく新しい睡眠をご提供いたします」
「ハツデンキカン……?」
 はて、と頭をひねったEの脳裏にちらりと記憶が蘇った。そうだった。そんな話があった。揉み手をしながらいまや零細企業となったT社の営業がそんな話をしに来たのだった。なんでもN社と共同開発をしたとかそういう話だったが、疲れ切っていたEはあとで資料を読むと違って彼を帰してしまったのだ。彼は帰り際に言っていた。まずは議員宿舎から入れ替えさせて頂きます、許可はとっております、なにしろ民意ですからと慇懃無礼な調子で――
 ぴかりとまたウナギは頭を光らせて、尾びれを振った。ウナギが動くたびに掌をするりと抜けそうになり、慌ててEはもう片方の手でウナギを掴んだ。勢い込んだせいか思わず足踏みをするとぱたぱたと馬鹿にしたような音を立てて電力パネルの数値が変化した。ウナギは再び満足そうにしっぽを振って機械音に近い声でよどみなく口上を述べてみせた。
「また新方式シータ波自動励起によるレム睡眠の制御(特許出願中)を行い、お客様の発電パフォーマンスの向上をはかっております。ご不明な点がございましたら、T社サポートセンターまでご連絡くださいませ――」


※この話はひくしょんです。実在の人物、団体、企業、国家、惑星、創作物、デバイス、特許および個人の心情とは全く関係がありません。

(2011.3)
(2012.3加筆修正)

まずはじめに、息を吸う

すべてを諦めるところから始める。すべてを求めないことからはじめる。全てに嫌われていると思うところから、始める。全てに拒否されていると考える。なにも理解できないと知る。すべての失望と絶望と、諦観の中から始まる。なにも持たない、なにも与えられない、なにも得ない、なにもできない、何もない、すべて何一つとして持たない自分には意味がない。それを知り、ではなにをするかという時に、道はひとつしかない。


まずはじめに、息を吸う。

(2007.11.28)
(2012.6 加筆修正)

鴨川の抱く夕暮れ

 みてみて!これすっげーおもしろくね?といいながら布団を蹴飛ばす僕に、彼女は呆れたように笑った。そしてなにとはなくしみじみと、君は本当にかわいいなぁ、そういう良さが分かってくれるひとが現れるといいね、と言った。
 その頃失恋したばかりだった僕は少し笑って、その言葉に何も返さなかった。ほどなくして疲れていた彼女は眠りに落ちて、僕は夕暮れ時の静かな一時をぼんやりと過ごした。
 僕たちはお金のない学生だった。夜行バスでやってきた京都はひどく暑く、体力のない彼女はすぐに根を上げた。お金がないなりに途中で冷たいものを食べたり、甘味をとったり、川のそばで涼をとったりしてはいても彼女の体力は照りつける太陽のようにじりじりと焦げ付き、クーラーのきいた部屋の中にしばらく入ると眠りに落ちてしまうだろうと、僕は思っていた。彼女が眠り込んでしまう前に夕食は少しだけぜいたくしようね、と約束をして、僕は携帯で知らない土地のぐるなびを見ていた。いくつか見ていくうちに自分の食べたいものに突き当り、そこから類似の店をいくつかピックアップする。少し雰囲気が良くて、でも高くなくて、小食で偏食な彼女も、おなかがすいた僕も満足できるような、そんな店を探すのはなかなか骨が折れた。
 二時間ほどして目が覚めた彼女は、今何時?と寝ぼけた声で聞いた。僕が答えると、一気に目が覚めたのか瞠目して嘘!と叫んだ。よく寝てたねーという僕に申し訳なさそうな、恥ずかしそうな顔をする彼女が僕は好きだ。


 僕は彼女以上に好きになれる人は、たとえ異性でも二度と出会えないだろうと思っている。彼女が結婚し子供を生み、家庭を持ってもなお、僕は彼女のことが好きだ。僕はヘテロだし、彼女に性欲を抱いたりはしないけれども、性欲を抱かないからといって彼女への気持ちが劣るものだとは思っていない。
 でも、彼女にとっては僕は特に仲のいい友人であることに変わりはないけれど、でもそれ以上ではないのだった。彼女にとって僕は、唯一無の一ではないのだった。友人たちはみな、僕たちが特に仲が良いことを知っていて、しかも僕が片思いであることも知っている。僕にとってその思いを言葉にできないほど彼女は大切な人なのに、彼女にとって僕はいつでも交換がきく人間なのだということは、皆が認めるところだ。


 夜風に吹かれてたどりついた店は予想通りなかなか良い店だった。残念ながら川辺の席は取れなかったが、それでも十分にぼくらはぼくらなりのぜいたくをして、お酒を少し飲んで、最後にお茶漬けを食べて、いつもより豪勢な夕食を終えた。帰り道に寄ったコンビニで彼女は梅酒を手に取って、飲みきれないかもと言ったから、余ったら飲むよ、と僕は答えた。彼女はなにを言うでもなく笑う。
 飲めないのにお酒好きだよねぇ、ほんとと僕が呆れて言うと、彼女はうん、と無邪気にうなずいた。なんだか飲みたくなるんだ、お酒飲んでると楽しいから。チューハイを一口か二口のんだだけで記憶をなくす彼女を介抱しなければならない立場の僕は、まったくもう、と言ったけれど、彼女はただ笑うだけだった。君も、と彼女は言う。


 君も、お酒飲んでいろいろ忘れられたら、もっと楽に生きていけるのかな。
 僕はどうだろう、と言う。お酒を飲んでいろんなことを忘れたり、理性を飛ばして騒いだり、そういうことができる僕だったら、こうやって二人で京都に来ることもないんじゃないかな。彼女は朗らかに笑って、確かに! と声を高くした。少し酔ってるようだぞ、と訝った僕のことは気付かずにふらふらと彼女は菓子を物色し始める。僕はドライフルーツを手にとってしげしげと眺める。
 さっきの、と彼女はいつもの口調で言った。さっきの布団蹴ってた時の顔、ほんと子供みたいでかわいかったよ。
 なにいってんの、もう、という僕に彼女は笑ってみせる。その顔の方がよっぽど子供のように邪気がなくて僕はまた彼女を憎めなくなる。

ブレーキも踏めない

 薄手のシャツの襟の下に、黒い痣は隠れている。何とはなくそこに触れるたびに、私は深い沼の底にいるような錯覚をして息ができなくなる。
 運転免許を取りに行ったのは、大学一年生の夏休みだった。
 一括で全て払いきれるほどのお金は溜まっていなかったので、座学分だけ払込み、残りは夏休み中にアルバイトをしながら稼いだ。教習のたびに数千円が消える。紙は淡々と私の前を通りすぎていくだけだった。
 計算では7月の終わりに教習所に入学し、9月の半ばから後半に卒業、そして10月の初めの誕生日を過ぎてから免許センターに行き、試験を受ける。それが最適だと計算した。比較的のんびりとしたプランだったが、それでも私にとっては最短のコースだった。この夏休みの間に上京のために物件を探し、その契約も済ませねばならなかったからだ。敷金と礼金を払うためにアルバイトの時間を増やすと、どう頑張っても教習の時間をこれ以上捻出できなかった。教習所に向かうバスの中に射す夏特有の朝の日差しはいつも眩しく、家に帰るのは眠るためだけだった。
 私は家に帰りたくなかった。毎日家に戻るたびに、生死の境目が危うくなった。だから帰りたくなかった。家にいればなぜ家にいるのかと言われ、アルバイトの給与の額面を見ては母は働かないからだと私を殴った。穀潰しは早く出て行けと口汚くせせら笑った。かと言ってアルバイトや教習で遅くなれば、なぜもっと早く帰ってこないのかと彼女は私を罵るのだった。姉はにやにやと気味の悪い笑みを顔に貼り付け、それを見ているだけだった。そして姉は私が内見しに行こうと考えている物件を眺めているのだ。姉は一日家にいるのに、母はなにも言わない。物心がついた頃から、私と姉の扱いはそうと決まっていた。私にとっては覆りようのない真理だった。でも殴られれば痛みは残ったが、忘れてしまえばいいだけだった。眠りに落ちるたびに私は何もかも忘れ、翌朝は穏やかな気持ちでバスに乗って教習所に行った。


 女の子は元気がよくないとな、と路上教習の時に教官が言った。その教官は怖いと有名で、はんこをなかなかくれないと教習所で再開した旧友からも聞かされていた。事実、ブレーキの踏み方で何度も注意を受けた私は萎縮していて、信号に出会わないことを祈っているところだった。
「あんたは考えすぎて事故るタイプだな」
 教官は日に灼けた顔をかすかに歪めていった。若い頃は精悍な面立ちだったのだろうか、短く刈り込んだ髪の毛も真一文字に結ばれた唇も頑固な職人を想起させるそれで、ブレーキのことさえなければ私は彼のことは嫌いではなかった。昔から職人タイプの男性にはかわいがられる所があるし、彼らは曲がったことはしない。だからちっとも怖くない。
「考えたってしょうがねぇ時もあるんだよ、そういう時は強引に行っちまったほうがいい。なんとかなる」
 いいんですかね、と半笑いで答える私に、彼は深々とうなずいて前を凝視していた。開け放った窓からは、青い稲穂を撫でる透明な風が指先をかすめて通り抜けていく。
「あんたは頭いいしな。ちゃんと考えられるし状況判断も間違えない。あとはちょっと強引になるだけ――あぁ、ブレーキもだな。ブレーキがうまくかけられるようになったら」
 そこでぽん、と彼は太ももを叩いて、また微かに顔をゆがめる。
「教えることはもうない。なんもない」
 私は黙ってハンドルを握り直し、黄色になった信号を気にしながら、いつも言われているとおりにブレーキを踏んだ。教官は満足そうに唸って、それからまた女の子は元気がないといけない、といった。そうですね、とだけ答えて私は愛想笑いを浮かべた。なぜ彼が同じことばを繰り返したのか、私にはわからなかった。


 路上教習のキャンセル待ちの合間に、電話がかかってきた。姉からだった。物件を決めたという話だった。私には内見しに行く権利さえ与えられなかったのだ。
 決めたその部屋に住むのは姉ではなく、私だ。諸々の費用を払い、労働力を差し出すのは、姉ではなく私なのだ。だが、姉が決めたということは、彼女はなにも支払わず、そこにいつのまにか寄生する気でいるということに違いなかった。私の少ない予算の中で用意できる生活に、彼女が期待するなにかが得られないのは確かで、でも姉は理解していないだろうことはわかっていた。姉が文句を言った時、母に殴られるのは私だろう。母は私を殴るだろう。力いっぱい、痣ができるまで。あらゆるものを差し出すしもべになれと、二人は言っている。時々餌を与え、それがなければ生きていけないと信じている私は彼らにすがりつくしかなかった。彼らの手口は巧妙で、まるで私は愛されて育った何も知らない子供のようだった。でも私が願っていたのはただひとつだけだ。どうか殺さないでください。そして私は彼らにされるがままに身をまかせる。
 私はただ、ああそう、と無表情に答え、電話を切った。それから、陽が燦々とあたるベンチに腰掛け、目頭を押さえじっと座っていた。ただ、静かだった。
 考えてもしょうがないことがなにか、私にはよくわかっていた。でも、強引に切り抜けることはできないのだと思っていた。身を引き、力を抜いたほうが傷つかないと知っているからだ。下手に力を入れ抵抗をすると、いつまでも痛みが残る。誰かの言いなりになり、家畜のようにおとなしく頭をたれ、ただ黙っているのが一番いい。それが一番楽で痛みがない。黙っていればその内終わる。なにもかも終わる。なんとかなる。元気なんて、生きていくためには必要ない。感情だってきっと、必要ない。
 胸の内からこみあげてくる暴力的な衝動に私は歯を食いしばった。誰かを、いや、だれかではなく相手は決まっているのだが、その名を呼ぶことさえも出来なかった。「それ」をめちゃくちゃに殴りつけてやりたいと思った。激しい勢いの感情が溢れ出してくるのを感じた。うっかり動けば壊れてしまうような気さえした。
 私を制したのは単なる義務感だった。衝動に任せたところでどうなるというのだろう。忘れてしまえばいい。忘れてしまえば、私はまるで普通の人のように振る舞うことができる。不幸などなにも知らないという顔をして人を欺くことができる。自分自身で信じこむことができる。だから、泣いたりなんかしないんだ。
 夏はきっと、重く暗いまま過ぎていくだろう。眩しい光に目を細めても、暗い沼の底にいることに変わりはない。私がそこを出ていくことは許されず、ただたゆう水面を見上げていることしかできない。力を抜き、やり過ごし、そして終わる日がくるまでじっと耐えるだけなのだ。そんな諦観の中で、しかし諦めきれずにもがいている。日々。永遠に変わらない気がした。夢なんて、希望なんて、生まれた時から死んでいくまで持てないんだ。叶うわけなんかないんだ。


 その日の送迎バスの運転手は、ブレーキにうるさい、あの教官だった。混んでいるバスの中で運転席の斜め後ろの席しか見つけることのできなかった私は、カバンを膝に置き、規則正しく動く彼の足もとを眺めていた。ブレーキを踏み込み始めるタイミング、踏み込む強さ、窓の外を流れる景色とその感覚を思い出して私はカバンの紐を両手で握った。感覚はつかめるようでつかめなかった。
 私が降りる停留所は送迎バスの終点だ。そこにたどり着くまでには私を除いた全員が降車してしまい、教官は誰もいなかったらもう帰っちゃうんだけどね、と私に笑いかけた。私もにっこりとわらい、すみませんと答えた。
「ブレーキ、できたか」
「なんかこう、わかるようなわからないような……」
「ずっと乗ってりゃできるようになるよ。なんとかなる」
 自信に満ちた声に、私は仕方なく唇の両端を引き上げた。最低限の笑みは私の得意技だ。車の運転をしている人は私を見ないからいい。最低限の笑みに、なにを考えているか気取られることはない。
「最初エンジンかけた時だってな、そうだっただろ。とろっとろ構内走ってさ、路上になんかでれたもんじゃなかったけど、でも今は出れる。まだ危なっかしいけど、まぁ免許取ったら一人で乗れるようになるし、しばらく乗ってりゃ初心者マークだっていらなくなっだろ」
「――……」
 暮れかけた藍色の空のなかに、家々の黒い影がくっきりと線を引いている。暗闇に紛れて無灯火の自転車が走っているのがかすかに見え、黄昏時の運転は気を付けろと言われたな、ということを私は頭の隅で思い出す。
「ちょっとずつできるようになりゃいいんだよ。ちょっと強引に行くのだってさ、若いからむっかしいだろうけど年食ったら誰でもできる。うちのかーちゃんだって強引でしょうがねぇしな、あそこまで強引だと逆に危ないけどさ」
 彼はいつも微かに笑う。私は声を立て笑顔を作った。どういう顔をすれば、相手が満足するかを私はよく知っているから、その動作をためらうことはないのだ。
「なにがあったかしんないけどね」
「…………」
 表情は動いただろうか。朴訥なふりをして、したたかに相手の顔色を伺い、無表情を取り繕うのは得意なはずだ、と私は自分自身に確認した。もしなにか見られていたとしても、私自身の抱える問題を誰かがずばり指摘できるはずがない。
「たまにはアクセルも踏んでやんな。ブレーキのかけ方知ってんだからアクセル踏んだって大丈夫だよ。みんなやってんだ。どうにかなる」
 のろのろとうなだれて、私は自分のつま先を見下ろした。体にかかる力にあわせて、右足の足裏に力を込める。ゆっくりとため息を付いてマイクロバスがとまるまで、私は右足のつま先を見つめていた。

忘却という防御

 忘却がいつから始まったのか、今となってははっきりしない。昨日と同じ失敗をしたらしくひどい罵声を浴びせられながら、父は背中を丸めて大根を切っている。今年に入ってから老けた。みるたびに皺は濃くなっていく。張りつめる空気の間を泳いで庭に下りる。
 怯えた様子で犬が駆け寄ってくる。家の中の不穏な空気に敏感に反応して、中を覗き込んでは撫でてくれと身体を寄せてくる。不憫に思ってその小さな背中を丁寧に撫でてやる。
 どこで生まれたのかもわからない犬である。見つけたときは、処分されるのを待つだけの身だった。そんな犬だからなのか、空気を敏感に読んでそして甘える。撫でてやると安心してもたれかかってくる。それでも耳は動き続けている。怯えているのだ。


 父はただのお人よしだった。そういわれ続けてきた。小さい頃から身体も小さく、病気がちで、頭もよくなく、要領も悪くて運動も苦手だった。だからいつもいじめられてきて、そうするうちににこにこすることを覚え、誰かの言おう通りにしてれば世の中を泳いでいけることを知った。考えることは苦手で、単純作業を丁寧にこなしていくことが得意だった。その生き方を重宝する場所もあった。時々酒を飲んで酔いつぶれてくだを巻き、だがそれだけだった。名もなきひとの、平凡な人生。恐らく傍からみれば家庭を持ち、家を買い、それなりに裕福で、子供を一人も死なせることなく大学まで出してやり、幸せな人生だといわれることだろう。でも実際は大きくない背中をいつも丸めて、罵倒や怒声をやり過ごしてきた、その姿を見ても人は同じことを言うだろうか。
 いつからか、昨日のことを覚えていられなくなった。失敗したことを忘れるようになった。忘れたことを忘れるようになった。彼の頭の中には幸せな記憶しか残らなくなった。たくさんの罵倒や怒声の全てを忘れることをいつの間にか選んだのだ。
 その人生について思う。その人生は果たして幸せだったのだろうかと思う。いつだって平穏は手に入れられなかった、いつだって悪意を向けられていた。それでも生きてきた、生きるしかなかった、笑う以外に手段を持たなかった。やり過ごす以外に術を持たなかった。それももう終わるのだ。全て忘れていく。忘れていってしまう。ずっと望んでいたただ幸せなだけの毎日が少しずつ準備され始めている。


 私にもたれて安心している犬がびくりと身体を動かす。その筋肉の動きを掌に感じて声をかける。大丈夫だよと、声をかける。おまえは幸せだろうか。大丈夫だよと声をかけてくれる人がいるおまえは果たして幸せだろうか。
 春の近い空を見上げる。去年の春、何をしていただろうかと考える。それから犬に話しかける。一人ごちるでもなく、しかし返事を期待するでもなく、ただ話しかける。私が一人だったとき、一人で冷たい空を見上げていたとき、寒さに震えていたとき、おまえがいたならまた少し違った今があっただろうかと考えながら、その身体を撫でる。おまえと後何回くらい桜を見に行けるのかな。私はもう戻ってこないかもしれない、おまえを忘れるかもしれない、それでもその怯えた瞳を思い出せば身体を引きずりながら戻ってくるかもしれない。もう後数回もないだろう、毎年見上げる桜の木の下で、今年は何を思うのだろう。


 みな忘れていく、みんな死んでいく。だから人は生きていけるんだ。