絶望という名の光

昔はまさに恋愛で救済されると思っていた私は、実際にその相手を得たとき「この人は自分のことを好きだと言うくらいなのだから私を無限に承認し受容してくれるはずだ」と信じてはばからなかった。結果、相手がその自分の思い込みに沿った行動を取らないと「こんな筈はない」と思い、話し合いという言葉のもとに自分が正しいという意見をぐいぐい押し付け続けた。もともと口下手だった相手は、どんどん無口になっていった。
多分夢見ることが悪いんじゃない

 いい文章だと思った。
 僕は「人は誰も好きになどなれないし、自分もなれないだろう。無限に承認され受容されるということは世界の真理としてありえないはずだから、誰からもそう期待されるわけもなく、もちろん自分も期待しない」と思いながら、初めて「異性」という存在に対峙し、「彼女と彼氏」というややこしい関係に身を置いた。その中でいくつもの言葉をもらって、おそらくその当時は――それなりにお互いに見返りも求めずうまくいっていた頃は、当然のようにお互いを承認し、受容することができるのだと知った。そう思った。そういう幻想を抱いた。希望を、幻想を手にしてしまった。
 「もしかしてできるのではないか?」「人を好きになることもあるのではないか?」「わかってくれるひともいるのではないか?」「ここにいていいと無条件に言ってくれる人がいるのではないか?」「思ったことをそのまま言ってももしかしたらいいのではないか?許されるのではないか?」
 そういう幻想を淡く抱いて、幻想上では裏切られないこともあるのだと、私は知ってしまった。そして弱くなった。


 ないものと思っていればひとは強くなれるのだった。その強さは何人も受け入れないからこその強さであり、それはまた受け入れることのできない狭量さを示しており、外乱に耐えられないという弱さである。得るためには自分が何かすればいい。その対価としてかえってくるものが承認であり、許容である。そういうシンプルな思考である限りは強いし、不安にもならない。ほしければ自分から働きかければよいから。無言のうちには得られないから、働きかけて相手の意向を汲んで的確な反応をして、それでも得られないことが当たり前で、得られるのならば幸運で、しかし自分のリソースが有限なら得られるものもまた有限であるという理論。
 だが、「それ」は外からやってきて、さまざまなものを揺さぶり整合性の取れていた内部を、雑然としたものに変えて去って行った。淡い希望と不確定さだけが残った。
 あれが幻想だったのか否か、いまでもわからないが、多少(いやかなり)いまは押しつけがましいのではないかとは思う。
 幻想を抱いてそれが幻想だったと突きつけられて動揺して、それでも信じたい気持ちがあって、だけどたぶんそれは間違っているのだろう、と理性はささやいている。ひとりでいれば楽だと、誰も信じなければ誰も受け入れなければ、誰かに受け入れてもらおうと思わなければ、そう願わなければ、楽だと、どこかから声が聞こえる。不安になることもさびしくなることもないと、前に戻ればいいだけだと、私は知っている。
 でも、だけど、では、あの感覚はなんだったのか。ここにいてもいいんだと思えた瞬間のあの感情はなんだったのか。その感覚を信じたから、ぐいぐいと押し付けられてくる相手の要求に無限にこたえて、それでもいいのだと思っていた。「だってここにいていいって言ったから」「それでいいといったから」だから、自分も答えるべきだと思った。私が求めていたのは具体的な何かではなく、「ここにいていい」と示してくれること、それだけだったのだった。
 あの時の思いが間違いで幻想だったのか、それともまだ未練でもあるのか、何も思わないのに何も感じないのに、それでもまだ承認だけを求めるのかそのために今後の長い人生を塗りつぶしてしまっていいのか、それほどまでに承認がほしいのか受容されたいのか、飢えた犬のように卑しく。無限なんか求めない、一瞬の幻想で構わない。幻想でもいいからそれを見せてほしい、ほしかった。できればそのまま騙しつづけてほしかった死ぬまで。無限に。そういう矛盾。


 恋愛でも友情でもたぶん何でもいいんだろう。救済されることなんか願ってないと言いながら、願い続けるのだろう。その一瞬だけを願うんだろう。思い入れを持たなくても、距離をおいても、親しくすることはできるし、その中で信頼関係を結ぶことはできる。できてしまった。できることを知ってしまった。承認されるより先に、世界中に拒絶されている感覚をぬぐう前に、私はそういうことを知ってしまった。それでいいんだろうと思っているところを、土台から揺らされてわからなくなった。もう元には戻れないんだ。壊れてしまったら。知ってしまったら。


 パンドラの箱の中に残ったのは希望だったが、それこそ最も邪悪なものだと私は思う。なぜ絶望の中に光をともすのか。それも消えそうな光をともすのか。その光が消えた後に残るのはのっぺりとした平面の闇で、また暗闇の中で目がきくようになるまでには長い時間がかかる。凶暴な光で無理やり隠してあるものをはぎ取って白日の下に曝して容赦なく公正明大に事実を示して見せるその光こそが、最も手にしてはならないものだったのではないか。19歳の夏、私はそれをあけてしまったのだ。


(2008.5.23)
(2012.7加筆修正…しきれなかった…)

本という逃避

(略)
 不登校になることで逃げられるならはそれ以上の幸福はない。親が不登校になることを理解して、受け入れることができて、それでもなおかつその子に対してあなたは悪くない、といえるのならそれは幸せなことだ。
 でも現実的にはそんな親はおそらく少ない。学校にいっていれば問題ないと考える親は多いだろう。勉強してさえいればいいと思ってしまうのだ。面倒事はないほうがいい。私は子供いないし、そのことについて責める気はない。私も行けっていうかも知んないし気づかないかもしれないし。
 でも、そういうとき「学校に行かない」という選択肢は選べない。でも現実に学校に行くといじめられる、その場にいくと傷つけられる、そういうことがわかっている。そういうときにどうするか。どうやって逃げ出すか。
 まず一つ目。なにか別のコミュニティに属す。習い事とか塾とかなんでもいいけど、そこではそこでの友達がいたり信頼できる大人がいたりとかして、それで救われるかもしれない。「いうやつが馬鹿なんだよ、あなたは悪くない」といってくれる人がいるかもしれない。できれば現実世界の関係がいいとは思う。言葉がなくても伝わるものがあるような関係がいいと思う。「学校」というコミュニティとは別のコミュニティを探す。それがひとつの手。
 でもそれが見つけられなかったらどうするか。特に小学生の小さいうちは家と学校くらいしかいくところはない。お金もない。塾にもあまり通わない(通う子はいると思うが)。親によっては友達とも遊ばせず学校から帰ってきたら家にいるように強要するのだっているから*1そうなると逃げ場はない。家でも学校でも傷つけられている子供に逃げ場はない。
 そういうとき私は「本を読め」*2という。


 教育的な意味で言うのではない。本を読めば世界がかわるといいたいのでもない。
 「本を読む」という行為は、だれがみても「本を読む」という行為だ。何かしている、というポーズをとることができる。
 また、本を読むという作業は音がほとんど出ない。本に没頭することで周りを消すこともできるし、本に没頭して音を出さないことで周囲はその子供を忘れ去ることができる。存在を消すことができる。
 さらに学校には必ず図書室がある。本は無料で借りれる。お金がかからない。持ち運びができる。どこでも読むことはできる。本をよむことで物理的に時間を消費することができる。それがどんな本であっても。
 それにたいていの人間は「本を読む」という行為に対して悪いイメージを抱かない。子供が勉強してたり本を読んでいて悪く言う人はあまりいない*3。だから傷つけられている子供は、本を読むという行為によって自分を正当化することもできる。


 あとひとつ、文章を読むといいことがある*4。本の中には別の世界がある。いろんな人間が出てくる。書いた人の世界がこめられている。今属している世界とは別の世界が、手のひらの中に開けているのだ。もし本に没頭することができるのであれば*5、知らない風を感じることができる。周りの大人は誰も言わないようなことをいってくれる人がいる。もしかしたら「あなたは悪くない」といってくれる文章に出会うかもしれない。少なくとも本の数だけ別の世界がある。そして読んでいる間はあなたはその世界に属することができる。その世界は虚構であるが、でも確かに存在するのだ。


 誰もあなたの心の中にまでは入ってこれない。誰もあなたの心の中の世界を踏みにじることはできない。そしてあなたはどこまでいってもあなた自身からは逃げられない。物理的に逃げ出すことが不可能ならば、精神的な世界に逃げ込むのも手だ。そこには誰も来ない。誰も入れなくていい。誰にも見られない。誰を嫌ってもいい。何を思ってもいい。誰もあなたのことを傷つけたりはしない。
 心は自由だ。もし心までも自由にならなくなったら、それはあなたがあなた自身を傷つけているからだ。狭い世界の中に自分を押し込めようとしているからだ。でも今目の前にある現実の世界がすべてではない。だからそんな狭いところに無理に収まることはない、窮屈な思いをする必要なんてない。

(2006.11.11)
(2012.7一部修正)
とういかわかいなー

*1:その多くの場合虐待が疑われるが

*2:文章を書くこともいいと思うが、形として残るとあとでそれをねたにまた傷つけられる恐れがあるのでとりあえずは勧めない。思うことと書くこととの間には非常に深い溝が存在していると思う。簡単に飛び越えることはできるけれど

*3:たまにいるが。勉強してさえいればいいとでも思っているのかとかいうやつが

*4:本に限ったことではなく文章というもののもつよさだが、ここでは本ということにする

*5:慣れればできるが。毎日毎日本ばかり読んでいると本を読む能力はものすごい上がる。私はありとあらゆる本を読んだ。幼児書も児童書もライトノベルも純文学もノウハウ書も専門書も聖書も神曲も目の前にあれば読んだ。意味がわからないものも多かったがなんとなく意味をつかむコツは身に着けた

ももさか爺さん

 青い煙が空気の中で身をくねらせている。
 祖父は寡黙な人である。語り始める前、祖父はたいていタバコに火をつける。そのタバコが半分まで減るころになってようやく重々しく私に桃太郎の話は聞いたことがあるか、と聞く。私は首を横に振り、毎回否の意を示すのである。それが二人の暗黙の了承なのだった。
 ここは山深い森の中である。視界は青い峰々に遮られ、僅かな土地に村人たちは田畑を耕し、暮らしている。穏やかなせせらぎが村に注ぎ込み、夏になるとモザイク状にさざめく川面に子どもが飛び込んでは喚声を上げる。だがこれから十年も経てばここもきっと限界集落となるだろう。もう少し山合にあった村から引き上げてきた人々がここに移り住んだだけなのだから、末路は同じだ。
 古い家の中からは湿った木の匂いがしている。私は勝手口の上り框に腰掛けて、土間を眺めている。背後には囲炉裏があり、祖父はいつも縁側に背を向けて煙草をくゆらせている。私をみると祖父はいつも面倒そうな顔を向け、はよ遊びにいってきんさい、というのが常だったが、その話をする日はたいてい訥々と他愛のない話ばかりして時間を長引かせるのだった。
 外からキジバトのなく声がきこえている。祖父は口にタバコをくわえたまま、震える手で傍らの包丁を取り上げた。薄暮の中、鈍色の光が彼の指先を照らしている。
「わしの、爺さんが子供の頃にな……」
 刃をためつすがめつ眺めた祖父は目の前の砥石に手のひらで水をかけ、慎重に刃を押し当てた。タバコは相変わらず咥えたままである。
「えらい桃が流れてきよってな、それで爺さんの婆さんが爺さんをその桃に詰めて川に流しよったらしい」


 ひどい日照りの年だった。田は干からび、泥がかちかちに固まって苗は全て立ち枯れてしまっていた。川の底を舐めるようにちょろちょろと水が流れているだけだというのに、桃など流れてくるわけがないではないか。
 桃が流れてきたというのは嘘である。いや、桃に乗せて流すという言葉が、暗に里子に出すということを意味していたのである。かくして彼は僅かな食料とひきかえに売り飛ばされた。その後八つになると同時に彼は奉公に出されたのだった。
「商家に出されたらしいが、なにがあったかはわしは知らん」
 外から犬が鼻を鳴らしている声がきこえている。となりの白い犬だ。いつも餌をねだって惨めったらしい声で鳴いているが、飼い主がそれに応えているのを見たことはなかった。ずいぶんと鼻がいい犬らしいが、飼い主の思うように地面に埋まっている宝の在り処を示さないからだ、と祖父は呆れたように顔をしかめて言う。
 顔を上げた祖父はしばらく犬の鳴き声に耳をそばだてていた。囲炉裏にかけた鍋からはくつくつと芋の煮える音がきこえている。
「なにをしとったかは聞かんが、戦が来た時の話だけはした。奉公に出とる間に町に戦がやってきてな」
 深く沈み込むように息を吐いて、祖父は規則正しく手元を動かしている。私は腰をあげ、囲炉裏端へと這い寄った。惨めったらしく鳴く犬の声はもの悲しく、長い間聞いていたいものではなかったからだ。
「海の向こうには鬼がおって、それを倒す戦だったらしい。男らはみぃな志願したんそうだよ、鬼が盗み蓄えた金銀財宝があって、勝てばそれをわがもんにできると、こうな、貧しいもんほど先を争って戦地へいきよったらしい」
 ひときわ甲高い悲鳴を上げて犬は押し黙った。私は闇に顔を巡らせ、それからまた炭火に視線を戻した。祖父はかすかな光の中で、刃の具合を確かめている。タバコは吸い終えたのか、口をへの字に結んでなにも語りだす気配がなかった。私は居ずまいを正して鍋を覗き込んだ。
「煮えたかぁね」
「……ううん」
「まだか。ほんだらもう少し話をするかね」
 刃を裏返した祖父は再び砥石に手のひらで水をかけ、そっと刃を押しあてた。しょり、しょりとかすかな音が空気を削いでいる。
「えらい戦だったよ。人がばったばった虫みたいに死によって、だんに金銀もぶんどれなんでな。ほいで無一文で帰ってきて、婆さんを嫁にして、あこ生して――はやり病で死んだ」
 祖父は私以外にこの話をしないが、もし初めて聞いた人であれば祖父が一体何の話をしたがっているのかと思うだろう。全く救われない話だ。祖父の祖父、私にとって高祖父の人生は苦難続きだった。物心付く前に里子に出され、養家からは奉公に出され、奉公先では徴兵され、生きて戻ってきたと思えば病に倒れた。祖父も救われない人生であることに異論はないようで、いつもここまで来ると深いため息をついて緩慢にかぶりを振る。
 刃の様子に満足がいったらしい祖父は包丁を軽く水で濯ぎ、乾いた布で刃を拭き取った。そして、おもむろに胸ポケットからタバコを取り出す。私はあぐらをかいたまま、もう一度祖父が口を開くまでじっと待っている。
「……だんな話を爺さんの忘れ形見がこの村に戻ってきてしたそうだ。えらく鮮明な話だったらしい」
 青い煙は闇にとけいり、私はその輪郭をはっきりと描くことができない。
「ここに戻ってきたときは六つだかそれくらいだったらしいんが、まるでわぁが見てきたことのように話すだてな、みぃな驚いて……あの驚きようは……おかしかった」
 ぎこちなく頬が動き、しわの模様が変わる。黙り込んでいる私に微笑みかけた祖父は、ドーナツ型の煙をそっと空気の中に吐き出した。幼い頃、その煙をしげしげと眺めていた私のことを覚えているのだ。
「わしはあんなにいがんだ人の顔を今まで見たことがない。あぁ、ないな、あんなことは――どがしてそでに話せんのかとみな聞いたそうだが、親父は笑ってろくに答えんかった。まぁ答えるまでのことでもないが」
 わかるだろう、と祖父が言いかけた時、悲鳴ともつかない男の声が家の裏手から聞こえてくる。どたどたと騒がしく近づいてきた足音は勢い良く引き戸を開けた。悲鳴をあげた木の扉が壁にぶつかって黙りこむが、足音はそのまま土間に進み、そしてまた出ていった。私と祖父は顔だけをそちらに巡らせ、ややあって顔を見合わせる。
「……まぁいい。親父の婆さんはな、話を全部聞いてから呟いたそうだよ。もうえらい歳だったかんな、起き上がれもせんかったし、目もほとんど開かんくてな。声を聞くのもみな何年かぶりだがなんとか、とにかく長いこと聞いておらんなんだったらしいが、婆さんは言いよった――」
 落ち窪んだ眼窩の中で、容貌に似つかわしくない力強い光が閃いた。私はまばたきをしただけで祖父には答えなかった。答えるまでもないことだ、そう、祖父が言うようにこれは答えるまでもないことなのだ。
「なして戻ってきたんか、と――」
 なにか争う音が聞こえたあと、土に何かが倒れるような音が聞こえ、外は静まり返った。妙に今日はばたばたとした日だと思いながら、私は横目で祖父を見た。祖父は知らん顔をして、タバコの煙をはいている。
(どがして戻ってきたんか――ここは)
(ここはわぁの里じゃなかろうて)
 いけん、いけん、と老婆は早口で言った。半分暗闇に沈んだ家の中は、障子紙が透かす太陽の光が指し、せんべいのように平らな布団を照らし出していた。白髪ももうほとんど抜けた老婆は怯えるように頭を振り、闇の中に隠れようともがいている。
 突き刺さる視線に「私」は笑みを浮かべた。この頭の中に、その時の様子はしっかりと刻み込まれている。鼻孔をくすぐるかすかな黴の臭い、老婆は薬と据えた垢の匂いを漂わせ、怯える子供のように後ずさりをしている。異変を感じた家のものが「私」の腕を掴み、ばあさになんしとらだ、と詰問する。「私」は首を振ってわからないという。きっと、父と見間違ったんでしょう――
 だが私は父なのであった。父は私ではないが、逆はしかりである。父もまた、その父である。そうして連綿と記憶は共有され、すこしずつ新しい一頁が書き加えられていく。私たちはそんな種族であり、人を避けるようにしてこの山間の村に根を下ろしたのであった。高祖父の祖母は私達のひととは異なる在り方に恐れを抱き、里子に出したのだろう。無理もないことだ、人は理解出来ないものをおそれる。おそれるものを排除しようとする。従って私たちは人に紛れ、正体を隠し生きていた。青い峰々を眺め、巡り来る季節を愛し、夏の夕暮れ時に竹の葉を透かすように降り注ぐひぐらしの声を待ち焦がれながら、ただ穏やかに、静かに生きていただけだった。
「爺さんは戦の時の話を一つだけしてな……ひんどい戦場(いくさば)があって、目の前いっぱいが茶色でな。山もみぃんな焼き払われてしまいよったんろうなぁ、丸裸で草一つはえとらんかったらしい。爺さんはたまたま、谷(たん)にかくれとって、明け方近くに空を見とったそうだよ。帰りてぇなぁって前の晩まではようけ言うとったらしいけんど、そんときはそんなことも思いもせんで、ただえらい空が綺麗でな。ぽかんと口を、こう開けて、見とれとったんだよ」
 高祖父が帰りたかった景色は、高祖父自身が見てきた景色ではなかったのだろう。私達の中に刻み込まれている景色の殆どはこの山間の小さな村の中にあり、他のどこにもないのだった。
 高祖父はその時、てっきり気が狂ってしまったのだと思っていた。明け方近くの空は驚くほどに透き通り、視界の端に死んだ男の、土で汚れた手がぶらぶらと風に吹かれて揺れていた。ひっそりとなにもかもが静まり返り、だというのに地上のなにものをも無視しているように悠然と朝は歩み寄ってきていたのだった。
 なめらかに弧を描く空気の中に、それはぷかりと浮かんでいた。ほのかに青い光を当たりにまき散らしていたが、空気を染めるほどには明るくなく、夜に紛れるほどは暗くなかった。ぷかり、ぷかりと似たような青い小さな光が浮かび上がり、引き寄せられるように天空へと登っていく。数はやがて増え、静寂の中をこすれあう光の粒の音だけが満たしてまるで驟雨がやってきたようだった。
 あれは一体何だったのだろう。数百、数千と増えていく光はやがて地上を青く染め、地平線から顔を出そうとする太陽の条光から逃れるように空へと紛れていった。私は思った。あれは、記憶なのだ、と。私達のように人は記憶を引き継ぎはしないが、しかしその思いはどこかに引き寄せられ、いずれ帰っていく――帰っていったのだ。そこに待つ人がいたから。帰りたがっていたから。
(どがして戻ってきたんか……)
 記憶を受け継ぐ私たちは、彼らのように空を泳いで戻るわけにはいかないのだった。だから曽祖父はこの村に戻った。帰りたがっていた高祖父の記憶を連れてこの村に帰ったのだ。
「芋が煮えたな、飯に――」
 ごとん、と土間の方から音が聞こえて私たちは同時にそちらを振り返った。真っ青な顔をした中年男が片手になにか大きな物を下げ、もう片方の手に白い毛皮を引きずって土間を横切っていくところだった。男は滂沱の涙を流し、外聞もなくしろぉしろぉ、と繰り返していた。男が歩を進めるたびに湿った音が聞こえる。
 祖父と私は黙ったままその姿を見つめた。男は土間をよぎり、裏口から出ていった。あとに残るのは濃い血臭だけである――いや、そうではなかった。暗闇の中を滑るように光の粉が通り過ぎていき、一瞬私達を伺うように動きを止める。光はすぐにまた男を追いかけるように出ていったが、それが虫の類でないことは明らかだった。
「……出ぇよったなぁ」
 祖父の声はどこか楽しそうだった。私は急いではきものを突っ駆け、裏口から外を見遣った。
 男はもう川べりを歩いていた。片手に掴んでいるのは老人の首だった。もう片方の手で抱きかかえているのは犬の死骸であろう。男はおんおんと声を上げながら足を引きずって歩いていたが、彼が声を上げるたびに、ぱあっと闇を散らすように光が弾けた。川べりの枯れ木に光の粉がかかり、まるで彼が花を咲かせながら歩いているようだ。私は思わず笑って祖父を呼んだ。祖父は私の隣に立って「かぁ」と感嘆の声をあげた。
 母に呼ばれ振り返った一瞬に、彼らは消えた。炉端においてある包丁に、母は「あんら、また、おじいちゃんがきぃはったんな」と呆れたようにいった。母の耳元をかすめるように光の粒が流れ空気に消えていくのを、私は笑顔で見送った。
 隣の白い犬はまだ甘えるように鼻を鳴らしている。


(2008.3.6)
(2012.7大幅に加筆修正)

母は東京にはイオンがないという

 記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
 父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から十軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。
 父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんどという中で、父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない、日本によくある限界集落の一つだ。
 引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。


 バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
 父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人ばかりだった。
 でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかったのだろう。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるが、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきて、都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。
 教育にしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
 子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
 そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
 祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
 たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。
 私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。
 田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。
 犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。
 彼らはそう言う。
 あんなにも都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
 私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。
 でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。
 田舎にあるのは、一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活である。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
 それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張するのだろう。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

(2010.8.31)
(2012.7加筆修正)

手のひらの中で

 お金貯めて一括で払えるようになるまで我慢すると言った僕を、彼はとがめるような目つきでみた。斧田さんっていつもそうだよね、という言葉に非難の色を感じても僕は黙って笑う。
 こう、なんていうか、思いつきでぱーっと使ったりしないの? と彼は問う。僕はしないねぇと答える。その瞳の中にある色に全く気付いていないような涼しい顔で、ミルクティを口に運ぶ。僕は喫茶店でコーヒーを飲まない。僕には苦すぎるからだ。彼はそのことも少しいやそうにする。僕は気付かなかったふりをする。
 だって怖いじゃん、明日いきなり病気になったらどうする? 今日帰りがけに事故にあって入院することになったら? もしくはとんでもないことに巻き込まれて急に大金が入用になったらどうする? そのたびに冷や汗をかくのは嫌なんだ。
 そんなことそうそうおこるわけないじゃんか、と彼は怒ったように言う。僕はその顔から眼をそらす。
 別に、と彼は言葉を付け足しかけたところで、汗をかいたグラスを指でなぞって、忙しそうに紙ナプキンでぬぐった。別に、お金貯めてからかうのって確かに正しいことっていうか間違っちゃないけど、なんていうかこうどうしてもほしい! とかそういう感覚ってあるじゃん、今使いたい、みたいなさ。
 僕は口角を一定の位置に保ったまま彼の顔を見なくて済むように視線を伏せて、マグカップを掌で覆う。湯気が、掌の内側をなぞる。彼は僕のそんな仕草は見ていないだろう。見ていたとしても、きっとなにも思わないに違いない。僕はそれを知っている。彼は不機嫌な声で続ける。先にものだけ手に入れてあとでゆっくり払っていくのだって別に間違っちゃないし、そっちの方が、人間らしい。
 僕はちょっと笑った。別に衝動買いしたりローンでもの買ったりするのがだめだなんて言ってないじゃん、ただ私はしないってだけ。ローンで買うのは好きじゃない。
 彼は絶句して、口をへの字に結んだ。僕は彼の暴言には気付かなかったふりをして、掌を少しずらして湯気を逃がしてやる。掌の内側が湿っている。


 その顔に書いてある非難を一字一句僕は拾い上げることができる。その言葉をすべて誰かから言われたことがあるから、彼が何を思っているのか僕は分かってしまう。そのお金を稼ぐことができ、貯める余裕があり、計画性を持って欲求を抑制することができる人ばかりではない、と言うことを彼らは言う。僕もそうだろうと思う。恵まれているといえばそうなのだろう。でも、と僕は思う。
 定期的な支出が千円とか五千円とか一万円とか増えた時に、それが原因で生活が回らなくなる恐怖をあなたは知らない。自分が自由に使える収入がほんの少し減っただけで困窮する生活を、その収入すらも保障されていないことも、それゆえに実際の生活以上に精神が追いつめられることを、実感をもって知っているわけではないのに、あなたたちは私を恵まれていると言う。そんなことができる人ばかりじゃないと言う。僕はその一定ライン以上の生活しか想像できない貧困な思考力をいやだと思う。計画を立ててその通り実行することを人間らしくないとまでいう、偏狭な価値観をいやだと思う。
 あなたにとって喫茶店ではコーヒーを頼むものだという思い込みがあってそうでない人を不愉快そうにみるように、ほしいものがあったら何もかも忘れてそれを手に入れずにはすまない情熱を持たない人は人間ではないんだね、と心の中で呟いて、僕はただにっこりと笑う。口に出してもしょうがないことを僕はたくさん知っている。あなたと僕は分かりあえない。でも僕はそれを口に出さないから溝は深まるばかりだ。

(2010.10.30)
(2012.6加筆修正)

頑張ることはたやすい

 頑張ることはたやすい、と昔書いたような気がする。
 頑張ることはたやすい。一生懸命であることは労力を必要としない。諦めないことは造作もない。ただ何もかも忘れればいいだけだからである。それよりも、自分自身のリソースを把握し、正気を維持するために生活を制御をすることは、なにかにただひたすら打ち込むことよりもエネルギーを必要とするのだ。それも精神的なエネルギーを。だから放っておくと人間は好きなことに打ち込んでしまう。そういう生き物なのだろうと思う。


 寝食を忘れて、物事に打ち込むということがある。限界を超えて、新たな境地にたどり着く最短で確実な方法は、ただ一つのことだけに打ち込み、他のあらゆることを忘れ去りおざなりにすることである。限界を超えんとする行為自体が非常に危険な賭けであることすらも忘れてしまうことである。かくして体もしくは心あるいは両方が摩耗し、乗り越えられなかったものはどちらも失ってしまう。
 心が死ぬと、すべての出来事は義務になる。すべての仕事は惰性になる。そう思わないと体が動けなくなるから、そう思い込んでしまうのだ。心が死んでいる人は目的を忘れている。挑戦には目的があったはずなのに、それを失い義務で動くようになる。目的を意識するのは精神的なエネルギーが必要だからだ。できるだけ何も考えず、何も感じず、ただ目の前にあることをこなせるように心は死に、人はそれに従うようになる。それでも体に余裕があれば人は死なない。体に余裕がなくなれば人は死ぬ。とても簡単に死ぬ。死んだこともわからないほどあっさりと、境界線を踏み越えてしまう。
 挑戦をするためには心と体に余裕が必要なのだ。体に余裕がないなら心に、心に余裕がないなら体に。そうしなければ人は死ぬ。その両者は対をなし人が死なないように適度な制御をしている。そのどちらも失ったら人は死ぬしかない。
 僕たちは折に触れ、頑張らないことを選択せねばならない。歯を食いしばってそれを選択せねばならない。頑張ることはたやすい。なぜならばそれは正義に守られたおおいなる惰性だからだ。

(2011.1.29)
(2012.6 加筆修正)

発電機関はデンキウナギの夢をみるか

 西暦0x2011年、夏。
 未曾有の災害と共に発生した、史上最悪と言われる原子力発電所事故により、関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所で電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わり、オワコンだ、と誰もが思っていた。
 E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。
 飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。
 彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDPは10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい。
「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」
「国民は死ねってのかよ! おい! Kを退陣させろ!」
 Eは汗を拭った。マスコミの記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いまや政府は転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには、驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「宇宙の本質はゆらぎ、地面も放射線値も揺らぐのがあたりまえ、我々の存在さえも観測するまでは生きているか死んでいるかわからない」などという迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。
 記者が静まるのを待って、Eは原稿を再び読み上げ始めた。
「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日正午より、首都圏の主要駅を中心に新方式発電装置の稼働を開始いたします……」


 後に有名になる首都圏全域床発電所誕生の瞬間であった。


 手始めに政府はラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。
 これはひとつの天啓だった。
 人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。極めてクリーンな発電方法であることは疑うべくもなかった。
 はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置が首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10万キロワットの発電を可能にしたのである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。
 この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。突っ込んで突っ込んで、突っ込みまくった。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは導電性の繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が、押されたり押し返したり(要するに通勤ラッシュである)すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったというのはまさに画期的だった。


 この発電方式が予想以上の供給を可能にしたことを受け、すべての原発は停止した。原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。
 人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュの電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。
 だから電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置(彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった)からそう日をおかず、一日に割り当てられた発電量を供給できないと罰金が課すという法律――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法が満場一致で可決された。国の財政と電力供給量は飛躍的に改善した。
 一方、国民は疲弊した。疲弊する一方だった。


 あれから二年――


 電力供給量改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、不幸にも幸いなことにK政権は鳥人間も真っ青の低空飛行を続けていた。その間に政治家が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者に向かって「なぜこの世でなければならないんですか?あの世ではだめなんですか?」などと発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが、概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。
 それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。
「自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」
 女が額に汗を浮かべ、無表情に限りなく近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。
 Eは汗を拭った。
 日本経済は回復している、していたはずだった。だが、三十年しか持たないと三十年前から言われている石油がついに三十年後に枯渇するという研究結果が発表され、しかも史上最強の円高が日本を襲ったことによって一時期の回復傾向は再び減退していた。人々は火力発電所もすてさろうと言った。圧電発電装置の運用がうまく行っているのだ。なぜできないといえるのか、と。その上低周波騒音を出す風力発電や、山間の村を沈める水力発電に比べて圧倒的にクリーンな電力なのである。なにかにとり憑かれたように人々は快哉を叫んだ。革命が起きるのではないかとEは思ったが、人気取りが三度の飯の次に好きなKが民意を見逃すわけがなかった。かくして革命は回避された。
 この一年、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。「大丈夫だと思います」「冷静に対処していきたいと思います」「直ちに影響はありません」
 俺だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだって、キーボードの打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから。
 会見は相変わら寒々しく終わった。比喩でもなんでもなく、痩せこけた人々から発生するエネルギーは以前に比べると非常に少なかったからである。


 新しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい電力不足のパネル。
 Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。
 くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。
 Eはあたりを見回した。停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが、議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだから。プラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。
 Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って(コール五回分の振動で約一分間話すことができる)電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。
「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか」
 ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい。
「いえ、私の方にも報告は――」
「どういう事なんだ!」
「T社に問い合わせてください……」
「なんだと! 俺を誰だと――!」
 思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。
「それがあなたの仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ!」
 怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した。携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。もうどうにでもなれ、と彼は思った。誰かが動くのをやめたのだ。Eだってボイコットだ。ストライキしてやる。クソが生み出す電力なんてクソ食らえだ。大して面白くもなかったが彼は笑った。笑いながら彼は吸い込まれるように眠りに落ちていった。


 眠ってしまったはずだった。Eは頬をつねったが、痛くなかった。夢の中だと確信して、彼はあたりを見回した。どうにも何かがおかしかった。違和感の原因はすぐに分かった。彼は眠る前と同じように発電パネルを踏んでいたのだ。
 思わず喚いた彼のもとに黒い影が飛んでくる。なにも考えずにEはその影の胸ぐらを掴み上げ、これはどういうことだと怒鳴った。夢の中なのになぜ発電せねばならないのだ。どう考えてもおかしいではないか。夢は安楽の装置である。なにものをもその安楽を妨げることはできはしまい。だがEの指先をするりと逃れた影(どうみてもウナギ)はぴかぴかと額を光らせて言った。
「x月x日0時より一部地域にて寝たまま発電できるまったくあたらしい布団、ハツデンキカンβ版テストを行なっております。バージョン1.0では、心拍および体動による発電を実現し、まったく新しい睡眠をご提供いたします」
「ハツデンキカン……?」
 はて、と頭をひねったEの脳裏にちらりと記憶が蘇った。そうだった。そんな話があった。揉み手をしながらいまや零細企業となったT社の営業がそんな話をしに来たのだった。なんでもN社と共同開発をしたとかそういう話だったが、疲れ切っていたEはあとで資料を読むと違って彼を帰してしまったのだ。彼は帰り際に言っていた。まずは議員宿舎から入れ替えさせて頂きます、許可はとっております、なにしろ民意ですからと慇懃無礼な調子で――
 ぴかりとまたウナギは頭を光らせて、尾びれを振った。ウナギが動くたびに掌をするりと抜けそうになり、慌ててEはもう片方の手でウナギを掴んだ。勢い込んだせいか思わず足踏みをするとぱたぱたと馬鹿にしたような音を立てて電力パネルの数値が変化した。ウナギは再び満足そうにしっぽを振って機械音に近い声でよどみなく口上を述べてみせた。
「また新方式シータ波自動励起によるレム睡眠の制御(特許出願中)を行い、お客様の発電パフォーマンスの向上をはかっております。ご不明な点がございましたら、T社サポートセンターまでご連絡くださいませ――」


※この話はひくしょんです。実在の人物、団体、企業、国家、惑星、創作物、デバイス、特許および個人の心情とは全く関係がありません。

(2011.3)
(2012.3加筆修正)

まずはじめに、息を吸う

すべてを諦めるところから始める。すべてを求めないことからはじめる。全てに嫌われていると思うところから、始める。全てに拒否されていると考える。なにも理解できないと知る。すべての失望と絶望と、諦観の中から始まる。なにも持たない、なにも与えられない、なにも得ない、なにもできない、何もない、すべて何一つとして持たない自分には意味がない。それを知り、ではなにをするかという時に、道はひとつしかない。


まずはじめに、息を吸う。

(2007.11.28)
(2012.6 加筆修正)